きんに訓【hapiさんの健康管理カラダカラノート】

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08年05月22日(木)

きんに訓

< ふう  | トゥルーコーリング >
 久々の筋トレ 元にはまだ戻らないが 動作に対していちいち痛むのは本当に激減する 黙っていてもづきづき痛むが 動いたときの限界がぜんぜん変わる。 
痛みの少ない時間の創出→筋肉つける→食事制限でやせる 太らない→痛みが無い時間を作る これが現実的な対処かな?
肥満は体の中の 炎症を促進するらしいので この急性(不安定な)症状が長く続く原因のひとつかもしれない
血中の脂質は少ないと当然影響があるが 多すぎると多臓器に負担をかける。

 疼痛の苦しさは 自覚症状中心なので、どのいたみのレベルでも回りは評価できないし正しくは評価されないという矛盾がある。しかも、本当に自己の努力で、疼痛のレベルも他の要素で緩和させたりごまかせるからたちが悪い。 話の都合が悪くなると本当に痛みが増し、ストレスが少なくなるとか好きなことをしていると痛みが和らいだり我慢できたりする。周りの人には誤解をされるが そういった「調子の良い行動や様子を見せる人」は精神的にはかえって健康で回復を目指している人なのである。なぜなら、逆に疼痛を正確に表現しようとすると 軽い痛みのときに疼痛を増幅してしまう行動=疼痛行動にはまってしまうから、精神的(神経的)に崩してしまう。そこから痛みのスパイラルに落ち込むと大変な状態が待っている。それを一度は経験してしまい 後悔し 回避するために自己努力で痛みを緩和させて症状を押さえ込んでいるからである。
 
 当然そういった人が ひとたび精神的に気力を失うと、本来以上に疼痛症状を自滅的に進ませる可能性もあるので 極端に悪くなることは在る。これは10点満点中 「がまんできるがかなりいたい」5の痛みでも「我慢できるごまかせば忘れられる」3程度に抑えてしまうように、(好きなことを考えるようにして押さえ込む)ようにして しかも(3の痛みがあることも人に見せていない)。しかし その後で「薬や 安静がないと苦しい」7に痛みが進むと 表出を抑えられなくなり その為(周囲の戸惑う反応)から精神的に気力を失ってしまうと「実はこんなに痛いんだ」と疼痛行動を取ることになり、一時的にはさらに疼痛のレベルを高めてしまうことになる。廻りからの理解は深まるが周囲もかなりストレスが発生し 必要以上に安静を求めさせたり また安静を進められたりしてかえって症状を悪化させることにもなるのだ。
 このレベルになると 周りの人からすると1くらいの痛みのひとが突然8くらいの痛みになったように見える訳で、苦しみ方も隠せないので まさしく廻りの見ている痛みと実際がそのとおりになる。しかしまったく幸福ではないのがこの状態なのだ。
 だから 誤解されていても 少しでも疼痛行動を抑えてより廻りからは不安定に見えても、元気な振りが出来る時間 日にち
を増やすことが絶対に重要で 理解されることは無い事を嘆かないことが大事。
 痛みは「知らん振りするだけ」でいなくなるものだと誰でも知っている。 しかし 「繰り返し痛みに襲われる生活」は誰にも理解はされないし 本人でさえ耐えられない状態を人に分からせたら(他人まであちらこちらが痛くなってくる)。本当です 感染するんです痛みは。
 
 分析すると ずきずき がんがん ひりひりと痛みは繰り返しやってくる。たまに一発でどーんとくる。これは3回づきづきづき、、、、ピタっとやむときが在る。でもそのとき「痛くなくなったよな」と確かめてはいけない、意識を痛みに集中させるだけで戻ってくるからだ。わざと違うことをやり続ける そうすると何回かに一度本当にいなくなる。 そうすると普通の人と変わらない時間が過ごせる。どこから幸せだったかは本人には分かっているのだ。
 つまり 負担になることは避けて好きなことだけを何気なくやっていると 痛みが無くやっているような状態が何度かに一度やってくるということです。寝込んだり安静にしすぎてはいけない。でも無理なんて出来るはずが無い。「痛くなくなったの?平気なの?」そのような質問に会うときがあるが無視しないと痛みは帰ってくる。心から「気づかせてくれてありがとう、やはり痛いよ。でも忘れようとして普通に振舞っているだけさ」とは返事したら努力は水の泡だ。

 今分かっていることは、疼痛症状のあるいくつかの傷病は 完全に直らない可能性が高いことが多く 急性症状が取れて軽快し、症状が安定すれば今以上の悪化がとめられる。 たとえば定期的に痛むが、それ以上悪くならない。 「後遺症」といえる範囲である。逆に良くもならない(治療効果は無い)ので 療養(単にアフターケア)に変わる・これが労災等の対応である。
労災であればここから治療費は出ない 健康保険の場合どうなるかは定かではないが多分出るのであろう それしかないのだから。
しかし シップもリハビリもなしで過ごせるのは後遺症とは言わない 痛みが無いなら完治したということだ。 しかしたいていは完治した訳ではないし、本当は治療効果が無いというのも根拠があるわけでもない。補償等の法制度上の都合で治療の優先順位を下げただけだ。痛みに完全な解決策は無いということと 頼るのは自分だということ。そして社会的な痛みと 精神的な痛みも抱えて生きていく為には 対処対応の仕方のみが救ってくれるのであって 気持ちで負けたらおかしくなる。
 労災の制度であったって いったんは後遺症としておき また悪化したら治療対象になるということなのだから 生きている限り幸せな時間を一日何分かでも過ごせるようにしたい気持ちと痛みから逃げる努力は必要なのだ。半端な治療より自己努力しか抜け出す道は無い。このことを真に理解してほったらかしてくれる家族や医療看護に当たると 幸せだと思う。

 がんばれ筋肉 引力から抜け出せ。


【記録グラフ】
体重
75kg
体重(kg) のグラフ
   
コメント
longingly8 2008/05/24 22:17
今晩は。
この長文、全部読みました。
どこも痛いところのない者ですが
いわんとすることが
わかるような気がします。
(解る筈がないと言われそうですが)

健康でいられることに感謝し大事します。
hapi 2008/05/25 00:42
 独りよがりな覚書にお付き合いいただいてどうもです。痛みに対することは誰でも経験則でわかることは多いので話すとみんなあちらこちらが痛くなってくるようです。しかし いざ痛みと付き合ってみると (4箇所が痛んでいる場合 一番痛い1箇所もしくは2箇所が痛み そこが治癒したら3箇所目に痛みが出現する事)とか、(痛みがやむと本当にナンとも無いと錯覚するが痛むといきなり最悪な状態になる)(痛くて取っている行動は 感情の表現ではないことを伝えるのが意外と難しい)ことや (廻りにいる人の過ごし方で一番うれしい事を自覚して他人に伝える事の難しさ等)は一番困ることなのに誰も解決策を持っていない。
 それが2次的な社会的疼痛を増している要因ではないか?と疑問に思っています。
 医学的認定すらあいまいなのです。しかもそれが「精神的な症状で鬱ではないか」とか、「経済的に補償目的ではないか」等 あいまいで恣意的な憶測にかき回されて 患者や家族が2倍の苦しみを味わうことになっている原因になっているようでどこかおかしいと思い 思いついたことを書き留めました。
 社会的にほんの一部の「悪意のある人」と 「権利の濫用防止」の観点が優先して、整理 理解されないまま放置されている分野であると思いますが ノーマライゼーションという言葉の意味からするとなんとなくこれからそういう事を普通に話せる社会が必要ではないかと思っています。 読んでコメントしてくださる方がいるのに 大変独りよがりな文面かと思いますがご容赦ください。 どうぞお元気でご活躍ください。
longingly8 2008/05/25 13:37
★痛みの例が妥当かどうか分かりませんが
 指先の皮膚の一部が剥けた軽傷でも最初は痛く感じる。
 次にもう少し大けがをした場合には、
 前の軽いけがの痛みを忘れてしまった経験がある。
 「痛みを感じる」痛点(?)は同時に複数個所は把握できず
 まるで痛みの深さで優先度を付けているかのようです。


★「なんとなくこれからそういう事を普通に話せる社会が必要ではないかと」
  社会が一定の成熟をすると次のステップとして
 「なんとなくこれからそういう事を普通に話せる社会になる」
  ように思いますね。
  だんだん外から見えないものにも理解が得られる社会になっていくのだと思っています。
  もうすぐそこまで来ています。これからも声をあげ続けることは必要ですよね。
 
hapi 2008/05/25 21:17
痛みの優先順位ですが 実は生命の危険がある 高熱ウイルス性 炎症があるときは すべての痛みが消えることがあります
そして危険が去ると (熱があったとしても)ちゃんと痛みが戻ってきます うれしいですよ 痛み出すときって(うそです)。
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