お寿司の思い出【audreyさんの健康管理カラダカラノート】

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09年12月12日(土)

お寿司の思い出

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一昨日、無事、ボーナスが出たので、たまにはお寿司を頼もうかなぁ…

お寿司と言えば、思い出すことがあります。

両親が元気だった頃、年に数回、我が家に集まって、食事会をしていました。
例えば、おじいちゃん・おばあちゃんの誕生日とか、、、


5年ぐらい前の夏。実家に二年ぶりに母が泊まりに来ました。
父が、母を自宅で介護したい。。と考えていたのですが、
家が古く段差が多く、狭いと言う事で車椅子の母が、家の中で
移動するのは難しいんじゃないか…
体半分しか動かない母を父1人で介護して生活するのは、
無理なんじゃないか…

と言う事を父に納得してもらうための私達の工作でもありました。

その時、皆(うちと兄家族)で集まって、お寿司を食べました。
もちろん両親のおごりで(汗)
父はその年の1月に腹膜炎を起こし、救急車で運ばれました。
生まれて初めて大手術をし、無事、退院。
近くの病院に傷が回復するまで通院していました。
けれど、あまり回復状況が芳しくなく、良く腹痛を訴えていました。

病院に行っても、父はさほど食べていないのに
『食べ過ぎるとお腹が痛くなりますよ』等と言われ、鵜呑みにしていました。

節食しても、あまり良くなることは無かったのですが、
この日ばかりは、皆が集まったことや、母が一晩でも『我が家に』
帰れたと言う事で、嬉しかったのか、お寿司を嬉しそうに食べていました。

でも、少しでしたが、、、


それが、父にとって、最後の食事でした。

母は、父が亡くなってから、ふっと思い出したように
『あの夜は、食べたもの全部吐いていたよ、、、』と。
自分は動く事が出来ない中、そんな父を見ていて
辛かったのでは、、、と。

母が心配するといけないので、父が救急車で運ばれた時も
『盲腸で、、、』とか、
回復が芳しくなくても、『元々傷が治りにくい体質だから、、、』とか、
そんな風に伝えていました。

その後、9月に入院した時も誰もが治って帰ってくると
信じていたので、母を見舞いに連れて行くのも
『もう少し待とう』と兄と話していました。

でも、父の容態は良くなることはありませんでした。
何ヶ月も節食し、入院した時は栄養失調の様な状況で、
手術を受けても、傷の回復力がゼロ。
それ以上に腸の別の箇所が破けてしまうような状態でした。


少し待とうと思っていたのに、結局母を父の見舞いに連れて行ったのは
亡くなる前日となってしまいました。
もう、父は話すことも愚か、声を掛けても、手を握っても反応しないような
状態でした。。。


何度思い出しても、全ての事が悔やまれます。


いゃ~、せっかく美味しいお寿司を食べたのに暗い日記になってしまいました(汗)


【記録グラフ】
睡眠時間
6時間
睡眠時間(時間) のグラフ
腹筋
50回
腹筋(回) のグラフ
体脂肪率
23%
体脂肪率(%) のグラフ
体重
54kg
体重(kg) のグラフ
   
コメント
はりそん705 2009/12/14 16:40
いいえいいえ。

きっと、お父さまもお母さまも分かってくれてますよー。
その時は、皆が必死だったはずですもの。
思いやりの心は伝わります。
「皆で食したお寿司は美味しかったなー。」
で良いと思いますよ。\(^o^)/
 audrey 2009/12/14 19:36
ありがと。そうですね、、、悔やんでも仕方がないし、
元気に楽しく過ごすことこそ、両親へのはなむけになるのかなぁ。。。
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