どっちさん
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10年11月09日(火)
先週までに読んだ本 |
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【朝ごはん】(8:30) 菓子パン 【昼ごはん】(12:15)お弁当 玄米ごはん、戦国味噌汁、ごぼう鶏ささみサラダ、肉じゃが、レンコン 【晩ごはん】(20:00)自宅 玄米ごはん、さんま塩焼き、白菜スープ、生湯葉、レンコン辛煮、肉じゃが 【夜食】(21:15) チョコロールケーキ、洋梨少し、牛乳 【今日の感想】 2週間でこんだけしか読んでいない。
■「絶叫委員会」 穂村弘
最近よく読んでいる穂村さん、でも本業の歌集の方は読んでません。ごめんなさい。 さて、この本はエッセイではないけれど、「言いまつがい」ほどの冗談集でもない、穂村氏曰く「偶然性による結果的ポエム」。31文字に命をかける歌人であるからこそ、言葉の重みを尊重し、特異な状況下で発せられた言葉をそっと受け止めて吟味する。
小学生の集団から発せられた「マツダのちんこはまるっこいです。」 「まるっこい」なんていう単語は考えて出てくるものではない。「!」を感じる。
また、会うのが2度目の知り合いの女性と会い ほ「お久しぶり、お元気ですか」 A「堕胎しました」
そしてサービス業における言葉の違和感、これには激しく同意する。 美容院における「流し足りないところはございますか?」、私もいつも「それはこっちの科白だ!」と思ってました。あなたが流しているんでしょ? そして、商品販売における「万一ご満足いただけない場合は全額返金します。」 穂村氏は"近づきたくないと思う"と云うがまさしくその通り、あまりにも自信を持ちすぎな相手に対し、「満足できませんでした」などと言うもんなら、「あなたはおかしい」「どこが気にくわないんだ!?」と迷惑を蒙ることは必至。ほぼ恫喝。
■「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」 川上未映子
2006年出版、川上未映子がまだ歌手だったころの2003年から3年間の彼女のブログをまとめた本。 文章がどうのこうのよりも、当時まったく売れていない歌手のブログで、しかも彼女の歌のファンでさえもおそらく「読んでいて何が何だかわからん。変わった考え方をする人なんだな」というくらいの印象しか残さないであろうその文章を、この出版社「ヒヨコ舎」の編集者は「いい文章を書く人がいる!」と発見して、単行本の出版にまで漕ぎ着けたのであるからその先見の明は評価してもしきれないくらいの大手柄です。
その後、彼女は作家になり、芥川賞を取りと文筆家としての地位を確立するわけです。そして、この度講談社から文庫本化、天才の文章は若い頃からすごかったと再評価されているわけです。
■「ジュラシック・コード―あなたの脳に潜む「爬虫類脳」の不思議」 渡邊健一
2005年テレビ朝日の番組「ジュラシック・コード」の放送作家による脳科学読本。今の脳科学ブームのさきがけの番組だったそうです。
人間の脳は、爬虫類の脳のまわりに動物の脳、そのまわりに人間の脳と進化の過程で"建て増し"がなされてきた。これにより人間の脳内には、恐竜(爬虫類)の脳・動物の脳・人間の脳の3つがあり、それぞれの得意分野は爬虫類脳が本能・動物脳が感性・人間脳が理性や論理。3人のドライバーが一つの車を運転しているかのように、それぞれがアクセルやブレーキを踏んだり、ハンドルを切っている。3つのバランスが良いとノリノリだが、どれか一人だけでも他と違う思いのものがいるとストレスを感じる。 自分が好きなワクワクすることを仕事にするとうまくいくのもこれで説明がつく。それゆえに人間らしい「悩み」という現象が発生するんだとか。
■「ひとを<嫌う>ということ」 中島義道
「人を嫌うこと」「人から嫌われること」これって自然なことであり、人間として生活していく上でいたって普通の現象である。なのに、人を嫌うことは悪いことであるというような教育があり、人から嫌われないように回りのご機嫌を伺いながら生きることが「人として正しい生き方」であるかのように言われている。そして、"大人になっても窮屈で欺瞞的な人間関係を築きあげ、それによって自分を苦しめ、かつ他人をも苦しめる"。しかし、人を嫌いになる、嫌われるには理由なんてないようなもので、そんな嫌われないように振舞っているあなたを嫌う人もいるし、その人が嫌いな人と楽しそうに話をしていただけでその人に嫌われることもあるし、昔は明るくて活発なあなたが「好き」だったけど、今となってはその軽そうな物言いが「大嫌い」という場合もある。
要するに「嫌い」って感情は普通なんですよという本。 嫌われる原因として、「期待に応えてもらえない」というのがあったが、妻が夫に対する期待というのは「養ってくれて、家族に何かがあったら守ってくれて、恩を感じてくれて、努力に応えてくれる」というもの、これらの一つが欠けた途端に"期待通りでない"と嫌われるとしたら、死ぬまでに嫌い同士にならない夫婦なんて希少な人間だ。こりゃタイヘンだ。
■「なぜ人を殺してはいけないのか?」 永井均×小泉義人
「なぜ人を殺してはいけないのか?」哲学の大きなテーマです。「なぜ自分は他人を殺さないのか?」と考えてもいいです。 これを二人の哲学者が対談をして、その後、対談内容に対する各人の考察。そして文庫本化にあたって更に各人による考察。
なぜ人を殺してはいけないのか?死刑という制度があるからでしょうか?では、刑事罰がなければ殺す?自殺しようとしている人、死期が見えている老人はどうせならと道連れ殺人をするか? それとも人を殺すのに理由なんかない?確かに、人の首を絞める前に明日からの生活をどうするか、死刑になるかも・・・なんて考えない。
また、出産前の胎児を中絶する医師、脳死状態の人(臓器移植に利用する場合に限られる)に対する医師、死刑執行をする人、法務大臣は死刑執行の命令をする、これらは国が認めていること・・・、裁判員制度が始まり「あなたを殺すことにします」とごく普通の人も言えるようになった。戦時中は国の命令で誰もが殺人者になり得た。その命令をした人たちは戦勝国に処刑され・・・と社会で認められている殺人を考えてみるのもおもしろい。
結局永遠に答えは出ないのだが、それを考えるのが哲学。永井均がひとつの例として、哲学的な考え方でこの質問に対する答えの一例を挙げていた。<私>とその個人を含む<社会>、<私>以外の社会を構成する各個人が<私>の視点で見据える<社会>、その各個人の<私>が考えるそれぞれの<社会>を包括した<私>がいる。よって人を殺してはいけない・・・うむ、狐につままれたような。
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