子供達のクリスマス いつの季題から、恋人たちのクリスマスになったんだろう 昨日、ラジオで、 JR新幹線の宣伝で山下達郎のあの曲が発端らしい 約30年前の事ですね
>打ち水さん 見合い結婚から恋愛結婚に文化が変わっていったのが原因かなと思い、変遷の分かるサイトを探してみました。 https://toyokeizai.net/articles/-/202863?page=3 1940年から2015年までのお見合い婚と恋愛結婚の数のグラフですが、お見合いが減り続け、恋愛結婚が増え続けています。 1965年が、お見合い結婚と恋愛結婚が同数になった時期らしく、その後は恋愛結婚がお見合い結婚を上回り、両者は逆転していきます。 記事によると、明治民法で家父長制度が決められ、女性の結婚・離婚の自由が法律により否定され、女性は見合いで結婚して、離婚してはいけないとなったようです。そして離婚率がこのグラフの2年前には世界最低となったようです。 つまり、離婚できないとなれば、クリスマスは子供のためのもので充分ということになるでしょう。 恋愛して結婚するのが「普通」になったとしても、日本の親たちは西洋の親や学校のように、「出会いの場」を設けたり、口説き方・口説かれ方を子供に教えたりしませんでしたから、子供たちは恋愛の「作法」が分からず、必然的に「イベント」にかこつけて相手を誘う手法が一般化してきたものと思われます。 相手をデートに誘う口実として、または仲を深める手段としてクリスマスが活用されるようになったことから、それに関する歌も増えたのではないかと思います。 現在の民法では、結婚して相手の家に嫁いだ女性は、夫の両親の最後の世話を一生懸命しても、法律的には夫の両親の財産の相続権がありません。(遺言を残してくれた場合を除きます) つまり、明治民法は、女性を牛馬扱いにおとしめた法律と言えます。女性の人権を極度に侵害した法律と言えるでしょう。 山下達郎「クリスマス・イブ」は、1983年リリースのようです。 お見合い結婚と恋愛結婚の数がクロスした年から18年後です。 この頃にはもう、結婚相手は自分で恋愛をして見つけることがかなり増えてきた訳ですから、貴重な結婚へとつながる手段であるクリスマスに、誘った相手が来ない哀しさを歌った歌がヒットするのも必然だったのかもしれません。 今のように、マッチングアプリが普通になった時代ではなく、お互いどうやって結婚相手を探すのが適切なのかを模索していた時代だと思われますので、共感者も多く大ヒットしたのでしょう。 私は、お見合い結婚の不自由から恋愛結婚へと、映画などで日本人を目覚めさせたアメリカは、フェアウェルパーティーの映画や文化もどんどん日本人に教えるべきではなかったかと思っています。 お見合い結婚というのは、不自由ですが、システムとしては合理的でした。 敗戦までは、「それが当たり前」だからと、人々は疑問を抱かずに結婚していました。 それを、「恋愛結婚が良いものだ」と喧伝したのはアメリカです。 だけど、アメリカの学校では、高校に「パートナーを探して、ダンスパーティーに出席しなくてはならない」という、相手探しの練習をさせる文化があります。 イタリアでは、男性が女性をとにかく褒めまくってナンパする文化があります。これは父親から息子へと脈々と受け継がれてきたものと推測します。 つまり、お見合い結婚というシステムを破壊しておきながら、「結婚相手を探す・口説く手法やシステム」を教えなかったアメリカが、現在の日本の深刻な少子高齢化の犯人であるという極論もできるのではないかと思っています。 お見合い結婚からの解放は、女性にとって良い事だったと思います。 ただし、男性にきちんとした女性へのアプローチの方法を誰も教えなかったので、必然的に男性はクリスマス、女性はバレンタインなどのイベントに頼るようになってしまったのでしょう。 どちらも西洋では、神に祈る日や、親しい人に感謝のプレゼントを贈る日などになっていて、日本のこれらの風習は笑いものになっています。でも、責任の一端は、恋愛結婚を喧伝したくせに、「正しい口説き方・口説かれ方」は一切教えなかった西洋社会にも責任の一端があるのではないかと思っています。
この力説は、論文風だ 以前研究したのかなぁ?
>打ち水さん 研究らしい研究はしたことがないのですが、子供の頃から自分が女性に生まれたことで、何だか損をしているような気持になることが多くて、それは何故なんだろうと気付くと考えていました。今でもそれは変わりません。 なので、その謎を解き明かしてくれる情報を自然と集めてしまうようです。 男性は男性で、大変なことがあるのだから、お互い様ですよね。 コメント返しが長くなっちゃってすみませんでした。