audreyさん
最新の記録ノート
 |
2011年 |
 |
 |
5月 |
 |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
11年05月08日(日)
☆母の日に生まれた、、、☆ |
< ☆天気がいまいち、...
| ☆久しぶりのヴァイ... >
|
生まれた日の新聞って見たことありますか?
ずいぶん前ですが、自分の生まれた日の新聞(朝日の一面)を 300円ぐらいで購入。 そのときは、たいした記事も無かったんだ、、、と思って 仕舞ってしまいました。
先日、片付けをしていたときに久しぶりに見つけました。 改めて読んでみた。。。
あっ、私の誕生日って母の日だったんだ、、、
その日の天声人語の記事。 その頃に比べると時代は母子家庭でも住みやすくはなっていますが、 心を打たれたので、ここに載せてみます。
《天声人語》より 赤いカーネーショ ン、白いカーネーション。 今日は『母の日』である。若い母、中年の母、年老いた母―生きている母に感謝できる子も、 生きて子に感謝される母も幸いである。 亡き母のあまい思い出にひたる子もあり、孝養をしたい時には親はなく “風樹の嘆”にたえぬ人もあろう。 “おふくろの味”は、いくつになっても格別なものだ。 母と子は血肉をわけた分身だからなのか、母親は人生のふるさとであり、 限りない郷愁そのものだ。 大きくなってもおふくろには甘えたいし、母親の方も立派に成人したわが子を 見る目は幼少のころとあまり変りがない。 それだけに三河島事件や年々の災害、交通事故で母を奪われた子の嘆き、 子を失った母親の傷心はいやされ難い。
五月の第二日曜のきょう、娘や息子たちが『お母さん、きょうは働かないでじっとしていらっしゃい』 となかば命令的に休養をとらせる。 子どもたちがささやかなプレゼントをしたり、花束をささげたり、 ちょっと儀式めいたことをするのを、そばから父規が『たまには父の日もやってくれよ』 と冗談をいいながら満足そうにながめる。さわやかな家庭風景である。
が、赤いカーネーションどころではない貧しい母子世帯も多い。 一家の柱の夫と死別、離別して、母一人の細腕にすがって暮らすさびしい家庭が 四十ニ万数千世帯もある。 戦争未亡人の母子家庭も長い苦しみに耐えてきた。
ことに幼児を抱えた母子世帯は、足手まといで満足に働きにも出てられない。 零細な家内労働でギリギリの底辺にあえいでいる。 子どもが少し大きくなってからも日雇、雑役婦、工員などがせいぜいで、 病気にでもなるとたちまち収人が途絶えてしまう。
彼女たちの唯一最大の希望は、わが子が一人前になって働くことだが、 貧困で十分の教育もできず、しか不良化の機会も多い。 そうなったら何もかもおしまいだ。
幸薄き母子世帯のために保育所、母子寮、職業補導、社会保障などの充実強化が 何より急がれねばならぬ。 『母の日』を、恵まれた家庭だけの一日限りの花やかな行事で終らせてはなるまい。
自分が恵まれていることに感謝し、こんな状況においてくれた両親に感謝し、 改めてしっかり歩んでいかなきゃ、、、と 思います。
ちょっとまじめな日記になってしまいました。
[no title]
|
|
【記録グラフ】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|