ニュースを見ながら、大変なことが起こってしまったと思ったものです。 我が家も香川で震度4くらいは揺れ、棚の食器類がガラスの引き戸側に倒れ、割れたりしていたのを覚えています。 高速道路がまさか倒れるなんて・・・と思いました。 復電後の火事などもあり、本当に痛ましい被害が出てしまいましたよね。 亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、教訓を胸に、次に起こりうる地震に備え、対処していきたいですね。
あきちゃんの自宅は、震度4くらいだったんだね~(^^; >教訓を胸に、次に起こりうる地震に備え、対処していきたいですね。 うん。南海トラフ、首都直下などの大地震に備えようね~~(^^。
もう21年経ったんですね。 私は高校卒業前で、春から大阪の専門学校へ行くことになっていましたので、 阪神大震災は、余計ショックに感じました。 最初にテレビで見た時は余りに悲惨過ぎて・・・ まるで映画の1部を観ているような・・・ 現実が受け入れられませんでした。 日本は山があり美しい国ですが、その分、地震も多いですので、 地震が来たらどうすべきか?!どこに避難すれば良いのか?! 家族との連絡手段は?!とか、家族と話し合う事も大切そうですね。
>最初にテレビで見た時は余りに悲惨過ぎて・・・ >まるで映画の1部を観ているような・・・ 本当に、その通りでしたね~(ーー; そちらは、地震が少ないんですよね~~。 でも、天災・災害の備えはしておいた方がイイですよ~。
ニュースを見て被害が大きくならないようにと思っていました。 20年経つと震災を体験した人が少なくなるんですね~ あの日を伝えていかなくちゃ。
我が社の幹部は、関西出身者が多いので、被災した時の話を、 よく聞きましたが、本当に凄かったようです~~(ーー; 本当に、あの日のことを、忘れずに伝えて行かないと駄目ですね。
早いものですねぇ、もう21年も経ちますか。 そう言えば一緒に工場で働いていた人の嫁さんが神戸出身で あの時彼が大変心配していたのを覚えています。 私は最近、20年前に別れた元妻のフィリピンの 姪とフェイスブックが繋がり、20年ぶりに会話。 当時10歳だった彼女が昨日30歳の誕生日を迎えました。 やっぱ、20年ってのは長いですね。 英語で会話してるんですが 良い英語の勉強になります。(^^ゞ http://photozou.jp/photo/photo_only/3171633/232617118?size=1024#conten...
あれから21年~本当に、早いよね~~(^^; >当時10歳だった彼女が昨日30歳の誕生日を迎えました。 なるほど~確かに、20年は長いかもねぇ~~(笑)
もう 21年も経つのですね〜 ☆ でも はっきりと あの時のニュースを覚えています まさか 神戸でって 感じでしたねぇ~~ あれから 地震に強い家屋・又 屋根の軽量化とか 建築における地震に強い家に対する考えが 強化された様に感じました
阪神大震災、東日本大震災と悲惨な体験は、絶対に忘れられないですよね。 我が家は、東日本大震災の時、屋根の瓦が半分崩れ~300万円近く修理代が、 掛かり、電気・ガス等のライフラインが1週間止まりました。 その教訓で「終の棲家」は、費用は掛かりましたが、最高ランクの耐震性と 太陽光自家発電オール電化にしました。
あの日私は、10時に名古屋で商談予定だったので朝一の新幹線で出発予定でした。 朝5時過ぎに目覚まし代わりにラジオを使い聞いてました。 少しして関西のリスナーから凄い地震だと一報が。 途中までは被害の程度が分からず、新幹線で座れた良かったと思っていたほどでした。 名古屋には運良く順調に着き、新聞を見てビックリでした。 神戸を含むあの街があれだけ悲惨な状況になっていたとは、と。 名古屋から何とか京都に着き、揺れる家で一晩過ごした覚えがあります。 その10年後、自宅のある小千谷でまたまた中越地震の直撃を受け、あの強烈な揺れを体験しました。
10年後の、中越地震~ムッキーさんの自宅、直撃だったんですね~~(ーー; 日本は地震列島~~どこに住んでいても、地震による大震災に遭う可能性があります。 阪神大震災、中越地震、東日本大震災と悲惨な体験を、忘れず~体験を、震災を、 知らない世代に伝え、震災に対する心構えと備えをしたいですね。
阪神淡路も東日本も地震は怖いですわ… プラス原発だし… 放射能は今も漏れ続けてる訳だし… 本当に怖いのは天災より人災だっていうのを思い知らされるよね・・・
確かに、地震プラス原発事故~最悪ですね~~。 それから~晋ちゃんが、中国と戦争でもおっぱじめたら~ 日本は壊滅ですねぇ~~(ーー;
この日を思うときは 改めて、 私達は、幸いにもギリギリに、無事に 「生かされているのだ」という 思いがします。
>「生かされているのだ」という思いがします。 中佐~私もそう思います。 だからこそ、無念も亡くなられた人達の為にも、 一生懸命生きなければいけないですね。