Ayako_kさん
最新の記録ノート
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18年11月16日(金)
お大事生活 職場でタイヤ交換 |
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【朝の諸事】 ① U-CANの動画を見られるようにする サポートサイトの登録。朝に送っておいたメールの返事が来ていた。 書かれたとおりに入力して、登録完了。 使い具合を色々と試す。 IEでないとテキストを拡大しても縦スクロールできないことも分かった。 ② 生協(共立)カードの手続き ネット登録などをしてみる。 登録の際、メルアドの入力で、gmailが弾かれる。Outlookもダメ。できれば携帯メールは宣伝とか嫌なので入れたくない。 プロバイダーのメールを、見られるようにしようとするが、うまくいかない。 Becky!を久しぶりにインストール。表示どおりに設定している筈なのに、サーバーに繋がらないとエラーが出る。 ファイアウォール許可にしても同じ。 サイトを観たら、ドメインが変わっていたので、それも直したがエラー。 仕方ないので、携帯メールで登録。 お得なキャンペーンは、やたらモノを買わせるものや、リボルビングやキャッシングへの誘導が8割だった。 ネットのサイトへの登録でアマゾンギフトが500円分、あと、カードを使用するとポイントが500円もらえるらしいので、もらうものはこれだけとした。
【朝】 生協共立者のグリーンカード(クレジット付き)を、旦那に手渡す。 今のところ家族カードが作れないので、名義は私名義。 今後の生協での買い物や、JCBで買える日用品は、これで支払いOKと伝えてある。 今までは、旦那の財布からの立替払いで、私の怠慢による立替金支払い遅延問題がしばしば勃発していた。 今後はこの問題がかなり解消される見通し。 1999年にこの家にふたりで引越してきて、以来19年目になる二人暮らし。 この二人暮らしの中で、夫が浪費しない、むしろ倹約する性格であるということ、私事のものは自分の小遣いから支払うということがよく分かった。 だから、信頼してカードを預け、立替払いのストレスなく日用品を買ってもらえるようにした。 私の信頼の証とも言える。 旦那は基本的に、食料品は近所の生協で買い出しをする人なので、これでOKだと思う。
【日中】 朝礼直後に、うちの課で専用に使っている軽自動車2台のタイヤを冬タイヤに交換した。 正確に言えば、男性の職員に交換してもらった。 私は今年度、「公用車」担当を事務分掌されている。 うちの課で使う公用車2台を管理する、という担当だ。 自分は女で、男性職員も少なからずいる部署なので、タイヤ交換は男性職員にお願いしている。 ただ、彼らの日程をみて、タイヤ交換の仕事をお願いする段取りは、私が担うことになる。 11月5日に、文書整理があった。これは大仕事なので、ここまではタイヤ交換などの話はしないほうが良いだろうと、自粛していた。 11月6日~8日は、私が月初めの仕事&舞い込んだ調査もので忙しかった。 タイヤ交換の段取りを考えたのは11月9日。その後2週間分の皆の外勤・窓口勤務シフト・有休予定日・公用車の使用予約日などを記録し、「タイヤ交換ができそうな日」を絞り込む。その上で、彼らが「断れない日」をあぶり出して、頭を下げてお願いする。 その結果として、11月16日朝イチでタイヤ交換の日取りを取れた。 自分の体調、戸外で1~2時間居続けることができるんだろうかと、心配ではあった。 だが、いくら戦力外だからと言って、彼らに仕事をまかせきりで、自分は室内でぬくぬくしているのでは、いくらなんでも頼まれた彼らも心証を害するだろう。 ただでさえ繁忙期に入っているのだし。だから、力になれないまでも、せめてできるだけ「その場に居て、参加する気持ちを見せる」ことはしたい。 「自分は、やれることは担当として精一杯頑張りますが、実務としての力仕事だけはお願いします」という姿勢を見せなくてはならない。それが仕事というものだ。 いつ、こういうことを学んだのだろう。新人の頃は、こういうことが分からなかった。 多分、先輩に叱られ諭され、もしくは先輩たちの態度を見習いながら、いつのまにか身に着いたのだろうと思う。 でも、今回も現場に居て、見習うことはあった。 それは、この仕事を昨年やっていた若手男性職員W君の、さりげない態度だった。 「僕、タイヤ持ってきますね」「夏タイヤ、片づけてきます」と、タイヤの「交換」前後の諸作業を買って出ていた。また、タイヤに空気を詰め直すのも、いつの間にか2台分行っていた。 私も少し見習って、夏タイヤを所定の置き場所に運んだ。ただし、タイヤ置き場は高い棚にあって、タイヤ2個積むと踏み台に乗っていても自分の身長(153センチ)を越えてしまって、持ちあげたら重くて落ちて怪我する怖さを感じたので、3個目からは一緒に手伝ってくれているM君に片付けをお願いした。 私は、運転手室(市長車や公用バスを運転するおじさんたち)へ「タイヤ交換、これからします」と連絡したり、タイヤ交換をするコンプレッサーのある車庫に、交換する車を移動させたりした。 ものすごく久しぶりに、ギアがハンドルの左わきにある車を運転した。レバーを「D」や「R」にするのに手間取ったが、なんとか車のいつもの置き場から、10メートルくらいの公道を経由して、タイヤ交換をする車庫に車を置くことができた。本当に小さな手伝いだが、私にとってはおおごとで、成果なのだ。 セミペーパードライバーの私が何故、公用車担当なのか、と時々疑問に思うのだが、多分「故障者」で「生き字引」でもない私にとっては、これくらいしかやれる仕事がないのだろう。これはこれで、私にとっては学ぶところが多くて、刺激のある仕事だ。 大体、「コンプレッサー」(空気詰め・タイヤ外し・タイヤ付けができる中型機械)とか、「インパクト」(タイヤ外し・タイヤ付けの器具名)なんて言葉も知らなかったし、油圧ジャッキもここで初めて見た。なんと軽々と車が上がるのだろう。ジャッキと言えば、大昔に1度、母親と実家でタイヤ交換をしたとき、パンタジャッキを体重をかけてジャンプしながら回した記憶しかない。手で回してダメで、足で踏んでダメで、ジャンプしてようやく車が僅かに持ち上がったのだ。タイヤのつけ外しもきつくて、結局どれもジャンプしながらやった。軽自動車1台を女ふたりで半日かかってへとへとになりながら交換したのだ。翌年からは車屋さんに頼むようになった。 私が22歳とかその頃だと思う。以来約30年、自分でタイヤ交換の現場に立ち会うことなんて無かった。だから、初めてと言っていいくらいに新鮮だ。 車の運転だって、直線距離にしたら10キロ、道の距離なら12~3キロ位離れたイオンに洋服を買いに行くために実家からひと月1回借りるくらいのもので、セミペーパードライバーなのだ。素人と言っていい。 珍しい経験ができた。知らない言葉を知り、知らない作業手順を眺め(女で、なおかつ体力も腕力もない私が実作業をしても足手まといでしかないからだ)させてもらい、良い勉強になった。春の、冬タイヤから夏タイヤへの交換の時は、前任者のW君から、タイヤの置き場所からまず教えてもらった。春は無我夢中で、こうやって振り返る余裕も無かった。 おかしかったのは、朝礼直後、私以外の男性職員たちは、皆それぞれの仕事の所用を済ませてからタイヤ交換現場に赴くため、5分~10分くらい、現場に降りていくまでに時間がかかったのであるが、ひと足先に現場に着き、運転手のおじさんたちに「これからタイヤ交換をします」と伝えたときに、まだ現場にうちの男性職員たちが来てなかったので、おじさんたちから「兵隊は?」と聞かれたこと。兵隊。確かにそうなる。(笑)「あ、もうすぐ来ます!」と答えた。ほどなく兵隊たち3人が現れた。 運転手のおじさんたち2人は、1台目の軽自動車に関しては、ジャッキの扱い、コンプレッサーの使い方、ワイパーの交換方法などを教えてくれた。2台目のときはいなかった。事務室に引き上げたようだ。 Tさんは、「俺がいなかったら、朝礼で他の人にも頼んだほうがいいよ」と言いつつも、現場ではコンプレッサーを使わず、手動工具だけで交換作業をでかしてしまう。婿に行った先が山間部の農家で、笑顔で愚痴ばかり言うが毎年家の車も農業用機械も自分でタイヤ交換しているらしい。他の2名はもう業者さんにお任せなので、春もTさんの作業を皆で見学した。性格は面倒くさいが、頼りになるヤツである。 こういうことをお願いすると、それぞれの人の性格が見えて、面白い。 かくいう私は何故か、窓口当番をしていたモンティディ男(サッカーキチガイの職場仲間)に「秘密工作員のようだ!」とゲラガラ笑われた。 ミニトレンチコートにマスクをしていた姿が、そのように見えたらしい。 「これに眼鏡をしてたら完璧だな」と、付け加えられた。確かにそうかもしれない。私は現代の女忍者なのだ。(見た目が) 作業服だと、自分にとっては寒いのではないかと思い、いつもの通勤服+マフラーをしていたから、素性が分からない格好に見えたのだろう。これで眼鏡をして毛糸の帽子を被ったら、強盗ができそうだ。紙きれに「ひみつ工作員」と書いて安全ピンで留めて、長靴を履いたら宴会余興の寸劇で笑いが取れそうだ。 そう言えば、水道部時代に余興の寸劇を書ける人がいたっけなあ。
自動車のタイヤ交換は、1時間ほどで終わった。1台目は、午前9時、2台目も午前9時20分には終わっていた。 「明日、午前10時にお客さんのところに行かなきゃいけないんだ。タイヤ交換作業を急いでくれないか」と言われていたA車を1台目にして、午前9時には車のカギを外に行く人に手渡せた。 私的には、本日の外せない用事であるタイヤ交換という「おおしごと」が終わったので、半ば虚脱状態となった。もう帰ったっていいよね。と、内心思い、自分へのご褒美として、給湯場所にある、いつもは自制していたお菓子を食べる。自分への小さなご褒美と心の中で言いながら。ココアも砂糖とクリームを入れて飲む。甘いものが欲しかった。 私が実際に「タイヤ交換」の中でやったことは、事前のブッキング、当日の運転手室職員との連絡、現場の立ち合い、ワイパー交換の促し、(やりかたを教えてくださいとおじさんたちに話しかけること)、2台の車のうち1台をタイヤ交換場所に運転して(25メートルくらい)運んだこと、くらいだ。でも、やり慣れないことをやるのは疲れるし、いつもは室内で仕事なので、屋外に1時間居るというのも身体にはそれだけでストレスだ。 つまり、他者から見れば「人に指示して楽してる」と見えるかもしれないが、自分基準で言えば私なりに「仕事を頑張った」のだ。『現場監督』のツトメは果たしたと思う。実際に作業した皆さん、お疲れ様でした。
まあこれで、自分が「戸外に朝、1時間居ても体調悪化しなかった」ことが分かったので、昼休みは非常に久しぶりに出かけることにした。 出かけ先は、400メートルほど離れた郵便局だ。定額小為替の換金に行きたいと、前から思っていたのだ。小為替の換金は、平日日中に郵便局に出向かないとできない。 今、郵便局の土曜日配達の廃止の提案が出ているが、配達で減った仕事分、大きい郵便局だけでもこういった平日業務を土日にもしてくれないものだろうか。そうするとかなり楽にはなるのだが。まあ、配達職員は別募集のポスターを見かけるので、職員が違うから無理と言われそうだが、浮いた人件費で実行していただけたらと思う。 現状としては、換金は月ー金勤務の今の私としては、昼休みに行くしかない。 平日日中に外出を試みるのは、10月初めに体調を崩し始めて以降、1カ月半ぶりだ。 久しぶりに街を歩いてみると、少し様子が変わっていた。 まず、おそば屋さんにスイーツののぼりが立っていた。 このおそば屋さん、おそば屋さん自体は今年から東京に引っ越したらしく、店舗を別の食料品業者が借りて、昼の間だけひとり社員を置いて弁当を4~5個販売させていた。 それが、それに加えて焼き芋をはじめたらしい。黒板に営業時間(午後3時まで)も書いてあり、若干手作り感のある焼き芋に何かをトッピングしたらしいスイーツの写真パネルのようなものも展示していて、ちょっと華やかになっていた。 また、郵便局手前の、もと居酒屋だった場所は、ハンバーガーレストランになっていた。 大手ハンバーガーショップではなく、店の壁などにペンキで英語でハンバーガーショップと分かる文字が羅列されている。 お品書きの小看板も文字だけで、ハンバーガー1個780円~1120円くらいだった。 これは、アメリカンスタイルで、日本の食堂のようにして、ハンバーガーを座ってメインのお食事として食べさせるお店にしたのだろう。 ダウンタウン的なカッコ良さを感じたので、きっと若い人が始めたお店なのだろう。 シャッターの増えた寂れた田舎町でも、歩くとこうやって色々また新しい動きを見ることができるのは、ちょっとした喜びだ。
郵便局に、期限(6カ月)の過ぎた定額小為替は換金できるかと尋ねたら、できると答えてくれた。 定額小為替の紙に、「6カ月を過ぎたら別の紙に書き換えることができます」的なことが書いてあるから、てっきり一度別の紙に書き換えて、それを手渡されてまた、そこにハンコを押して名前を書かないと換金してくれないシステムになっているのだろうと身構えて、ハンコも持参していた。 郵便局の説明では、他者に送付するのであれば、新品と交換いたします、ということであり、このまま換金したいのであれば、換金OKですとのことだった。 なんだそれを知っていたら、買い直しなどしなかったのに。、 6カ月を過ぎたらこの紙のままだと使えなくなるのだろうと思って、買い直して〇〇市役所に親の戸籍を郵便請求したのに。 まあ、この場では2度手間がなくなってありがたかった。 郵便局に入るとき、まず目に入ってきたのは「嵐の年賀状」だった。 今どきはジャニーズの年賀状まで作るのか。時代は変わったね。 私も早く、年賀状ソフトとデータの復旧をしなくては。 郵便局の棚に、色々なイラストの年賀状が展示されていた。可愛い。 今年は、年賀状がなくなる前に買いたい。 無事、換金を済ませて、歩いて職場に帰った。
【帰宅後】 帰宅する前までは、何か食事を作ろうと思っていた。 しかし、帰宅したら、どっと疲れ感が出てきた。 二階に上がって、寝間着を着てゲームしたりうとうとしたりした。 旦那が午後7時すぎに帰宅。「疲れが出た。ごめんね」と伝える。旦那は納豆などの買い物をしてきていて、ねぎとしいたけの味噌汁を作ってくれた。 「グリーンカード使った?」と聞くと「うん」と答えた。買い物の自己負担感が無くなり、気楽になったことだろう。 おかずが無いので、いままで出番が無かった北海道みやげの珍しい獣の缶詰を開けることにする。前に「トド」缶は開けた。残るは「鹿」缶と「熊」缶だ。 「どっち開けようか?」と聞くと「選んでよ」と旦那。 今夜は「熊」缶を開けた。 「熊」缶、見た目は脂身もけっこうありそうなのだが、脂身らしきところはコラーゲン化していて、さっぱりしていた。味は定番の大和煮だ。 これと、旦那が買ってきたキャベツ等の入った千切り野菜で頂く。あとはパックの味噌汁。 テレビは、旦那が録画していたNHKEテレの「ねほりんぱほりん」。今回のお題は「児童養護施設で育った人」だった。 インタビューに応じてくれた人はどうも、養護施設にいた頃のほうが良かったようだ。仲間もいるし、お金の苦労もしなくて良かったようだ。 18歳で外の世界に出たら、実母の借金を背負ったり、孤独になったりと大変そうだった。 消費税10%になるのだから、ここももっと予算を注げないものだろうか。 18歳でいきなり外世界にポンと放り出すのではなく、養護施設を「実家」のような扱いにして、困ったら「里」帰りできるようにするとか、養護施設で育った人たちの「寮」とか「シェアハウス」とかを色々作って、そこで卒業生たちが助け合えるようにするとか、養護施設から会社に通えるようにするとか。 実社会に旅立てるようにするための、移行期間というか、ソフトランディングさせるためのハードとソフトの仕掛けづくりというか。 家庭がない分、ケアしなくてはならないことは沢山あるように思えた。 食事も終わり、風呂に入る気力も無かったので二階に上がって刀剣乱舞とソリティアを少し遊んで9時半頃に寝た。
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