Ayako_kさん
最新の記録ノート
|
2021年 |
|
|
3月 |
|
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
21年03月19日(金)
妹の「お姉ちゃん!」の声。退職者E氏の記念撮影会 |
< 送別イベント記念写...
| お彼岸。花を買った... >
|
※注 はじめにツィッターに長文ぶちまけてしまって、編集する気力が無いのでツィッターからのコピペです。 ツィッターは1ツイート140文字制限で次のツィートに繋げることになるので、1ツイートごとに空白行で区切りを入れています。 読みづらくてご勘弁ください。
午後のスケジュール 13:00-14:30 宅建学習 14:30-15:00 移動 15:00-16:20 妹の入院先の病院でミーティング 16:20-16:30 移動(途中で義母をピックアップ) 16:30-17:00 スーツに着替えてメイク 17:00-17:10 移動 K写真館へ 17:10-17:45 退職予定のE主査を囲み記念撮影
妹は、知的障碍者で統合失調症。 昨年、グループホームから徘徊し、7km先の市街地で保護され、精神病院へ入院。 入院先で風邪をひいてから意識・意思薄弱の「混迷」状態になり、点滴生活が続く。 電気ショック療法を1月から週2で10回施し、鼻チューブ栄養摂取→通常の食事へと移行。
現在は車いす生活。立てない。 手は、猫の手を真似したかのように丸まり、震えている。開くのが難しい。 しかし、昨年10月以来会った妹は、我々を見ると「お姉ちゃん!」と大きな声で言った。 「歩きたい」「家に帰りたい」と、意欲を語った。
着替えも、トイレも、介助が必要な状態。 箸も満足に持ち続けられないのに、おやつの焼きそばバゴーンは完食するそうだ。 手足が衰弱していたけど、私たちとちゃんと会話もでき、いつもの妹が戻ってきたのを感じ、安堵した。 今日の主なる議題は、リハビリ先と退院後の落ち着き先だった。
医師の理想としては、落ち着き先を決めた上で、リハビリ先に転院、だったが、施設職員は、現在はコロナ下で施設の内部見学は不可なのと、妹が何をどれだけやれるのかを伝えないと、受け入れの可否ができないのと、適切と思える施設は人気で入居希望待機者が大勢いるという話。
ケースワーカーは適切なリハビリ先がすぐには思い描けないので時間が欲しいとのこと。 結局、現在入院しているここ(地域で一番大きい精神病院)にしばらく入院を続け、ここを拠点としてリハビリ通所できる施設を手探りしていく、という結論になった。
問題は、妹の意欲だが……というところで、半年ぶりに妹登場。(風邪をひいてから今までは面会謝絶だった) 妹本人から「歩きたい」「家に帰りたい」という意思を家族、医師、スタッフが確認。 70kgあった妹の体重は、50kg台に落ちたそうだ。頭はいわゆる「養老院カット」のモンチッチ風。
妹の車いすを押してきたのは、笑顔の優しい男性だった。妹のたどたどしい話を、補足してくれる。おそらくこの人が妹の主介助者なのだろう。ありがたい。 母は、足腰が若干弱く、重いものを持ち運びができないので、車いすを押して妹を家に入れたりの足腰に負担のかかる動作はできないそうだ。
だから、妹が家に帰るには歩けるようになることが条件となる。また、施設入居は以前にもあり、その原因は母の妹に対する世話疲れに起因しているので、ずっと自宅で妹が暮らすというのはおそらく難しい。
しかし、家を見て、中を歩くだけでも、妹の心の充足感はかなり満たされるだろうと施設職員は判断。 「家に入って、中を見るにも、まずは歩けるようになることだよ」と声をかけた。 私からは、「(コミケ旅行で)浅草花屋敷に行ったのは覚えているか?」「うん」
「その後居酒屋で食べたのは覚えているか?」「うん」 「東京健康ランドで焼肉を食べたのは覚えているか?」「うん!」と会話した。 それは、2年前の夏。ふたりで歩いた東京。 50m歩いては、疲れて尻もちをついてしまう妹だったが、コミケと遊園地とグルメを満喫していた。
妹よ、リハビリやって、あの頃に戻ろうや。 私も少しずつ自主トレして、試し出勤の現状から復職を目指すよ。 妹は、しばらくすると、「ここが痛い」と肺を指さした。久しぶりに懐かしい家族や施設職員と面談して喋ったので、呼吸器が疲れたらしい。10分ほどでお兄さんに車いすを押されて退場。
病院を後にする。「お菓子をあげる」と言う母に「太るから」「今後お菓子をもらっても職場にあげるから」とキッパリ断る。 車に乗り、帰ろうとすると、旦那の携帯に義母から電話。ロードサイドの車屋で義母は座って待っていた。
「10円、いや100円でもいい。ちょっとだけ貸してくれないか」と旦那に言った。旦那より早く私の財布から10円が出たのでお貸しする。義母はヨチヨチ歩きで車屋に向かった。電話を借りたお礼だろう。 義母は先月、足をいつのまにか骨折していた。
義母は琵琶をずっとやっている。今日はおそらく、趣味の集まりがあったのだろう。帰り道で降ろし先を指定したら、全く別の場所に降ろされてしまったとのこと。「白菜だか大根だか家にあったから、帰りにもらってって」とのこと。1/4白菜を2個、義母を降ろした旦那が後部座先に転がした。
そんなこんなで、自宅に戻れたのは既に4時半近くだった。せいぜい3時半には帰れるだろうと思っていたのにミーティングは長くなり、義母より頂き物もあり、さあ、出発の5時まであと30分で着替えとメイクだ。
私は、諸々の理由から、日頃メイクはしないので、久しぶりのメイクにとまどう。とまどいつつも、時間は待ってはくれないのでなんとかこしらえる。 現場に着く。だんだん人が集まる。
最後まで来なかったK氏をギリギリまで待つ。主催者が電話をする。「今日午後休む、と言ったことで、今日の写真撮影会は欠席する、という意味も含んだつもりだった」との返答。 私は、現在は試し出勤で午後お休みしている。 今回の写真撮影会も、はじめは出席どうしようかと迷った。
しかし、育児休暇中の人にも声をかけるとの主催者からの通知メールに、これは私も出なくてはいけないだろうと、万象繰り合わせてはせ参じた。 結局、育児休暇中の人は「行けない」とのことだった。子供3人いるから忙しいのだろう。 人の事情も、個性もそれぞれ。多様性のある我が職場……。
記念写真というのは、人が集まらないと主賓にさみしい思いをさせることになる。 ましてや、退職記念。E氏にとっては人生最後の集合写真になるかもしれない。 記念写真の席に立つ、ということで、小さくて、美しくは無いが一輪の華を添えることができて、良かったと思う。
いろんなスケジュールが詰まった午後になることは分かっていたが、それを勉強を休む言い訳にしたくなかったので、昼は帰宅直後からスマホの1時間30分のタイマーを押して宅建学習開始。 いつもの、帰宅後の仮眠時間は削った。 午後2時半。タイマーが鳴り学習終了。そして妹の病院へ向かった。
分刻み的な午後になったが、へこたれずに全部こなした自分を自分で褒めてあげた。 旦那も褒めてくれた。
|
【記録グラフ】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|