.takaさん
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23年06月29日(木)
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東京の伯母が亡くなったの知らせが実家から入る。 大正生まれの98歳、一人息子だった父の次姉だった。 父は5人兄弟だったが上2人下二人の姉妹に挟まれて、炭問屋の跡取りとしてきっと大事に育てられたのは想像に難くない。
ワタシが東京にいた短い間に、南麻布の伯母さんのお宅を訪問したのが11年前か・・・ 一回り近く年の離れた従兄二人とともに歓待してくれ、男3人で一升瓶を空けたのが懐かしく思い出される。
その前は遡ること40年、高校の東京への修学旅行で会いに来てくれた。 食べ慣れないフォークとナイフで洋食ランチに悪戦苦闘したのを覚えている。 前日の京都で五色豆を買ってきた。食事の時に渡したが、あら有難うと言ったきり受け取らず、結局自宅まで行った後に渡せた。 お土産を渡すタイミングと言うのが有るのだなと感じた一瞬だった。
11年前は上野の風月堂でゴーフルを買って行ったんだっけか。 この時も、あら有難うとサラリとしたものだった。
東京の伯母さんは、伯母様と呼んだ方が似合いそうな人だった。 早くに亡くされたご主人と、生前は世界中を旅行していて、アルバムを見ながら自慢話を聞くことが多かった。 一生のうちで数えるほどしか会ってないが、小さい時から色々とお世話になっていた。 ご冥福をお祈りしたい。一筆添えて香典を現金書留で即日送った。
父方のおじ、おばは皆いなくなった。母のみとなった。
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