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09年09月16日(水)
○カウンセリングと、善人になるための素地 |
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仕事のあと、某大学でオープンキャンパス『カウンセリング実践講座』第4回目を受講。 仕事の都合で最初2回は受講できず、第3回は大遅刻。 やっとちゃんと参加できました。
聴講生がカウンセラー役とクライアント役になり みんなのまえで「ロールプレイ」してみるという、本当に実践的な内容。 そうした模擬カウンセリングの様子は録画して、 みんなで見ながら問題点や改善案を出しあいます。 役は当日いきなり決まるので、けっこうドキドキもんです。
カウンセリングという技術には昔から関心があったのですが、 やっぱり本で読むのと、実物(実際は「実物に近いもの」ですが)とでは全然違うんだなぁ、 そう感じました。
じつは「カウンセリング」がこれ程までにもてはやされている 時代の風潮には胡散臭いものも感じるし、 いろいろ批判があることも知っています(たとえば画像の本のように)。
それにしても、カウンセリングがもつ「人の心を聴きだす」技術は、 ときに危険に思えるほど、実践的に有効です。 また、「聴いてもらう」ことによって癒されてしまう、という 人の心の不思議さについて改めて考えさせられるトコロがあります。 そして「クライアント自身に、自分の道をえらぶチャンスを与える」 という点に、なにより僕は惹かれてしまいます。
とはいえ、いくら頭でわかっていても、人間いきなり「聞き上手」にはなれません。 というのは、当たり前のことですが、 そのあとかかってきた友達&彼女からの電話で再認識。
賢い人というのは必ずしも「知識を沢山もっている人」ではなく、 「もっている知識を最大限活かせる人」なのだと思います。
《馬鹿には善人になるだけの素地はない》という ラ・ロシュフコーの言葉も、僕はそんなふうに受けとっています。
しみじみ、賢い人になりたいもんです。
―――――――――― (追伸) そういえば公爵には《最も微妙な狂気は、最も微妙な叡智よりなる》って印象深い言葉もあったっけ。これって《よい結婚はあるけれども、愉しい結婚はない》並みの名言だと思うけど、なぜか有名じゃないんだよなぁ。
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| 【記録グラフ】 |
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