lalalarunさん
最新の記録ノート
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11年07月05日(火)
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今日は過去に常連だったバーに行って。 久しぶりに日本人女性と呑み。
こないだ、そこのバーで呑んで、近場のクラブで朝まで踊り倒した男性も来ると事前にメールを貰って 到着すると、すでに二人ともそのバーで呑んでいた。別々の席に座って。 その日本人女性の夫の同僚の筈なんだけど・・・・?
何を遠慮しているのか解らないけれど、兎に角3人で、じっくり呑むことはなかった。 てきとーに呑む。それがここの感じ?なんだか良くわからないけど。
本日footballで足を負傷していた彼は痛々しく、病院に行ったのかと聞いたら、その前に私がここに来ると知ったので立ち寄ったと言った。 そこは質の良い料理を出すバーなので、私は「あぁよっぽどお腹が減っていたのね」と答える。 彼の言うことは真に受けてはいけないし、適当な会話をするべきだとは、十分理解している。例え彼が足を引きずっていたとしても。
とても可愛らしくてそして26歳という若さを備えた彼女と呑んでいた恩恵にあやかって 隣の席のフランス人二人組から、私が呑んでいたワインと彼女の飲み物が自動的に運ばれてきた。 私のもう一人の友人に関しては、明日もここに来てねと聞かれたり、後からメールで「今日のボクはなんだかシャイだよ。どうしてだろう?」とメールを貰った。
女を思い起こさせてくれる夜だったけど。 でも一人帰宅するわたしって。ある意味大人よねw (ああ、はいそうでちゅね。歳喰っただけでちゅね)
▼▼▼ ・走ること ・眠ること ・瞑想すること ・本を読むこと ・文章を書くこと
私にとって、何か深い共通点があるような気がするが、それはなんだろう・・・ 昼食後、テラスで本を読みながら、うとうとして意識が薄れかける前後にフと頭に浮かんだ。
まず走ること。これはセックスにも似てる。絶頂期に空っぽになるような自分を味わう。 無我夢中でやるのとは違い、段々ゆっくり絶頂に達っしていく。計算しつくされたプレイ。 走馬灯のように頭に浮かんでは流れていく囚われの心は、走り続けることで解放できるような。それはとても活動的な瞑想?それとも? 走るという行為は自分の体を支配している感が私にはある。 脳が心かどちらかが、もっと走り続けろと命令を下し、それに従わざるべく、体は疲れているにも関わらずに足を動かし続けないといけない。 しかも、その本来は辛いであろう作業を、できるだけ快適に。 そして気がつかない内に、脳内麻薬物質が頭の中で調整され放出される。 ゲームはもう体が濡れないまで、汗が干乾びるまで、足が折れるまで進行形で、 もっと自分の体を支配して制覇してやりたいと言う意地悪な女王様が現れ、どんどん中毒になっていく。 SMと同じ。自分自身で飴と鞭を与えながらのプレイだ。もっと気持ち良くなりたい。こう表現する方が更に近いか? 健康的な妄想と。
眠ること。本来は身も心もリラックスして体と魂を休める作業だろう。 しかしストレスがあると眠れなくなる事が以前は多かった。寝ても寝た気がしない。 寝る前に、取りとめもなく「何かの考え」が頭に浮かび、どんどん眠れなくなっていく。 反対に、一切そんな考えから逃げれるかと思い込ませる様に、一日中ずるずる寝てしまうこともあった。 これは、間違った瞑想の仕方を行っていると言えるかも。 運動するようになったお陰で、ここ最近はすんなり眠れるようになったが。スッキリした目覚めという感覚を得るのは実の所は今もなかなか難しい。
瞑想すること。まだ慣れていないけど、これから覚えていきたい「人生の種目」の一つ。 雑念を追い払うにはどうすればいいか? 私は、寝ても醒めても、走っても常に雑念に追いかけられている気がするんだ。 だから走りづつけてるし、そして道に迷い続けてる気がする。
本を読むこと。子供の頃は本の虫。一心不乱になって解らない世界の難しい本であろうと陶酔したかの様に読んだ。 読んでいる間は、走っている時と似ていて、現実の世界に私はいない。 どれだけぶ厚い本でも中身が面白ければ1日で、少なくとも2~3日で読破できた。 しかし、最近は、全然駄目だ。凄くワクワクする面白い本でも、すぐに現実の「何か致命的な囚われ」に引き戻され、現世の別の事を考え始めてしまう・・・・ こんな風に読書に対して集中力にかけてきたような感じがするのは、走り始めてからだ。断言できる。 何度も地面に足を叩きつけて、脳ミソもヘッドシェイクされて、どこか可笑しくなってしまったのだろうか?
文章を書くことは。自分自身と共存する面倒くさい方法。パソコンの前で長時間座って行うZAZEN/座禅だ。 私の根底にある、何か脆くて寂しくて四角いもの洗い出したい。時には邪悪な物も。書くことで色んな念が整理されていく気がする。 私は自分がどんな人間であるかをまず自分で明確にして、自分との付き合い方を知る必要があるのか。。。こんな面倒な事しなくてもいいんじゃないのか? 葛藤しながら書いては消し、都合の良い部分だけを生き残して。邪悪な物は淘汰され。 何かが淘汰されると言う点では、ニッコリ笑顔の記念撮影と同じだ。 取り敢えずカメラの前で笑っておけば、その旅は99%は楽しいのだろうと人々の目には映る。 自分自身でさえも、数年後に見返して、ああ、あれはとても楽しかったなと勘違いする。 まぁでもそれが人生で、一般的に嫌な思い出はさらす必要はないし、それに喜んで耳を貸す危篤な人は、カウンセラー以外にはあまり存在しない。
時々、私の意味不明な遠吠えを迂闊にも読んでしまったカラダカラの住人には少し申し訳ない気もする。
兎に角、これでちょっと唐突に気になった事を書きだした。 多分、共通点は、私がそれらの行動を取っている時の脳波が、全て異なるようでいて、だけど少しずつ似ているんじゃないかと睨んでる。 しいて言えば、無になること。無に戻る努力を繰り返してる気がする。
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