Ayako_kさん
最新の記録ノート
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18年11月30日(金)
お大事生活 歓迎会 |
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この秋から勤務になった臨時職員2名の歓迎会が行われた。 会費はひとり2000円。臨時職員は1000円。招待者は無料。 互助会からは通常一人2000円くらいの補助金が出るので、多分宴会費用は酒も合わせてひとり4000円くらい。 いつもだと会費が3000円なので、まあカジュアルな会なのかな。 でも、会場は寿司屋だった。 色々出たのだが、一番印象に残っているのはお魚の煮つけだった。 普通だったら、これにカルパッチョサラダとご飯と味噌汁でも十分ランチとかになりそうな感じ。 今回は久しぶりに宴会場で酒を飲んだ。 飲み放題にはあまりメニューは無かったが、それでもまあその中から選んだ。 乾杯のビール(コップ1杯)、グレープフルーツサワー、日本酒「金選」、赤ワイン「サングリア」 くらいかな。けっこう酔っぱらった。
臨時職員は2名。
ひとりは、同級生とできちゃった婚で今年娘が生まれた24歳の女の子。お婿さんに入ってもらった彼氏は、実家が徒歩3分とのこと。 いつでも「実家に帰らせてもらいます!」ができて、気楽なお婿さんかもしれない。車は4台あるそうだ。もうすぐ5台(妹さんの分)になるかもとのこと。 これが田舎の3世代家庭。やたらと車の数が増える。 今は、色々な理由から「親との同居」が難しくなっているので、三世代家族率の高いわが県でもこういうパターンは少なくなりつつある。 まあ、うちも「婿さん同居」を2年間ほどしてたんですが、実母は長女の夫候補が教師でも公務員でもない、アルバイトから親の家業の不動産屋に就職した男であることが気に入らず、ある日「うちの金庫から金を盗んだ。今日中に荷物をまとめて出ていってください。鍵を返してください」と言ったので、私も旦那について行ったんだよなあ。あれが1999年だった。^^夫同居中も私に母は「今からでも遅くはない」「どうして教員や公務員じゃダメなの」とか「あんな、口を半分あけてフガフガものを食べて。豚みたいだ」とか、台所に私を呼んでは説得しようとするものだった。本当にあれは嫌だった。だから、私が家を出ていった。あのままいたら「教員か公務員」のお見合いをさせられて、どうでもいい男と母親の見栄のために結婚させられていただろう。そうしなくて本当に良かった。私は母親のために生きているのではない。 まあ、彼女はウチみたいなことにならなかったのだろう。「反対はされましたが……」と言っていたが、笑顔だった。
もうひとりは、30歳の男性。半身がマヒしている。この人は詳しくいうと「パートの嘱託職員」という立場。 うちの課は部署が広く人数が多く、仕事も多岐にわたる。 かれは、同じ課にずっと所属しているのであるが、昨年度も前半半年は向こうの係、後半半年はこちらの係の仕事を手伝ってくれた。 いつも、アルカイックスマイルを浮かべている。歩く時、片方の足しか力が出ないようで、ピョコピョコ跳ねるようにして歩いている。片足は引きずっている。 ノートパソコンを自分では鍵のかかるキャビネットの上の方の棚に上げられないので、それは周りの職員が代わりに上げ下げしている。 ただ、そういったユニークな点を除けば、いつも静かに仕事をされている。 今日は、酒の勢いを借りて、いつからそのような身体マヒになったのかを尋ねてみた。 新生児の頃、未熟児で、保育器で育ったのであるが、その時に酸素の供給量が足りず、脳に障害が残ったらしいとのこと。 なので、「生まれついて」ではなく、後天的なものと思われるそうだ。 それもまた気の毒な話である。 彼自身は、「自分はラッキーなほうだと思う。このように皆さんと働けて嬉しい」と穏やかに語っていた。 これからの夢などはどんなことか、尋ねてみた。 「自分のような身としては、本当に難しいことではあるが、できればお嫁さんが欲しいです」 なるほど……。 私「じゃあ、ライバルはオトタケさんだね!」 「でも、彼は離婚しましたからねえ」 別に怒るでもなく、アルカイックスマイルの彼。ここまで来るには本当に色々あったんだろうな。 好奇心を満たしてもらったお礼のような気持ちで、知的障碍者であるうちの妹とその家族であるうちの父母の苦労話なども添えた。 障害を持つ家族がいると、家族の「見栄」のようなものを捨てなければならない時がくる。 自分も働き過ぎで休職になった時期がある。 みんな、ほどほどに働いて、幸せになれたらいいなと思う。そんな事を話したと思う。
いい飲み会になりました。
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