端午の節句? 鯉のぼりはないの?粽食べ食べ~♪は一緒なんだね~。
もともと中国からの風習ですから。↓ http://china.alaworld.com/modules.php?name=Know&about=tradition_da... こいのぼりはないよ!ちまきも日本のは甘い食べ物だけど、こっちのは違うよ。
??うまくリンクが貼れないかな?「ALA!中国」より 端午節 旧暦5月5日の端午節には、ちまきを食べて、竜船競漕(ドラゴンレース)を行うなどの習慣がありますが、いずれも2300年前の戦国時代の愛国詩人・屈原を記念するためのものです。 屈原は戦国時代、楚の忠臣で愛国の詩人です。見識が高く物知りで古今の治乱に明るく、文章の修辞にも優れていて、内政外交に目覚しい活躍をし、一時は楚の国の懐王から厚く信任されましたが、有能をねたむ同僚の陰口でその地位を失ってしまいました。楚の懐王は、屈原の内政改革と外交政策を取り入れなかったばかりではなく、屈原を追放してしまいました。 15年間の放浪中、屈原は『離騒』『九歌』『九章』などの優れた詩篇に託して、憂国憂民の気持ちを述べました。紀元前278年、秦軍は楚の都郢(現在の湖北省の江陵県の北部にあった。)を攻め落としました。5月5日、汨羅江(べきら)のほとりでこの痛ましい知らせを聞いた屈原は石を抱えて川に身を投じ、国に殉じました。 この悲報を聞いて、四方八方から船が出て屈原を救おうとしました。人々はちまきを水中に投げて魚やエビに与え、屈原の死体が食べられないようにしました。しかし、残念ながら屈原は帰らぬ人となりました。この偉大なる愛国の詩人を記念するため、毎年のこの日に人々は竜船を漕ぎ、ちまきを食べます。この風習はいままでも続いています。 「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことでした。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午」と呼ぶようになったともいいます。 仲夏5月は農耕にとってきわめて重要な時期ですが、百虫の繁殖が盛んになり、悪疫をもたらす時期でもあります。それゆえに、昔人々はこの日に薬草を取り、ヨモギの人形や竜虎、剣、鞭に見立てた菖蒲の葉を門に飾り、菖蒲酒を飲んだりしました。ヨモギは古くから体内の毒気を取り去るといわれる薬草で、菖蒲の葉は不祥を払うものと見られていたので、災厄を除き病魔を避けることを願います。
2300年前の風習が残っているってさすがが中国ですね。でもちまきを海に投げ込んで、屈原の死体を食べられない様にした、ってなんか科学的ではないけど,そのどうしようもない気持ち分かる気がします.だから「ちまき」と「ドラゴンボートレース」なんですね。 写真楽しみにしていますね。
ちょっと面白いのは 「午」は「五」に通じることから毎月5日となり・・・ これは日本語的に読めば、「ご」で話がちゃんと通じるのですが、本当は「うー」とどちらも発音します。端午節は「どぁん・うー・じぇ」なんですね(^・^)