ウチも昨年末の父の葬儀はお坊さんなしの友人葬をしました。 でも、親戚中から「坊さんの来ない葬式はない!」と散々言われたので49日は仕方なくお坊さんを頼みました。 初盆についてもああでもないこうでもない・・いろいろ言われましたが墓参りだけで済ませました。 12月の1周忌、どうしようか迷い中です。
結局、葬儀って故人のためではなく、残った人が 故人を偲ぶためのものだから、そこを履き違えてる人が多い・・ 親戚の人にとやかく言われるのは辛いかもしれないけど自分の 考えをきちんと言えるかどうか、貫けるかどうかも試されているのかも・・ 自分の意思を貫ければ、財産面でもつけこまれる事は無くなるかもよ! 他から何といわれようと自分の親のこと、ココはしっかりと自分の考えを通そう!
歴史上あまり無いのでは? ・・・たぶん世界的に稀有じゃないすか?
だよね~ 第1次大戦と第2次大戦の間だって21年しか 無い訳だし・・・ それが68年だものね…びっくり(@@;
何人かの人に今日は聞いてもらいます。 戦争が終わって2年半私は生まれた。田舎なので戦争の傷跡はない と思うでしょう。 ところが高知市内の空襲の終わった帰還機であるアメリカの空爆機 余った一個の爆弾 室戸岬に来た時 その一個を落したんです、その一個 落ちたのは 私の家の離れ部屋、母の足には傷跡が死ぬまで 残りました。小さい頃 庭の土を掘ると 破片が 出てきたこと 覚えています。 ひどい 話でしょう、宝くじも 当たったことも無いのに・・・・。。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ みたおさん スゲー!!
>田舎なので戦争の傷跡はない と思うでしょう。 私はそうは思っていませんから~ 多分、殿のご実家より私の方は田舎です…そして貧乏な地域です 直接の爆撃こそ無いですが、働き手が兵隊に取られたり 過度な弾圧を受けたりと、それは日本中同じだったと思います。 ちなみにBa様は東京大空襲の時には甲府に疎開していたみたいです・・ そのまま、東京には帰らず親父の田舎である岩手に行ったみたいです。 親父は・・背が小さ過ぎて兵隊検査に通らなかったみたいです(^^; >余った一個の爆弾 室戸岬に来た時その一個を落したんです そういうことは良くあったみたいです・・・ 護衛機の弾が余ったので帰り際、民家や漁船なのに乱射して帰ったとか… とにかく戦争は、昔から日本で言うように「勝てば官軍、負ければ賊軍」ですから 東京裁判だって、陸軍の中枢はともかく一般の将校や下っ端の軍人まで 戦犯で確たる証拠もなしに処刑された訳ですから… どっちが正しいも無いもんですね… そんな悲劇を生む戦争は絶対反対ではありますが、自国が侵略されたら 話は別ですよ! その時は戦って守るか、戦わずして奴隷にされるかですから… 殿の話を聞いてもまだ、侵略して来た相手に話し合いを 持ちかけて和平交渉なんぞ出来ると思ってるんでしょうか? 平和ボケしてる皆さんは・・・
広々としたところにあるんですね。。。 実家の義姉は、岩手に行くときは、花巻まで飛行機で言ってます。。 羽田で乗り換えていくのかな?? 岩手は、1回行っただけなのに、スっごくきれいで、思いは深いですね。。
実際行ってみるとそれほど広くは無いよ(^^; 写真のアングルでそう見えるのかも・・・ 花巻空港から行くのはとても良いと思う 九州からだと遠すぎるものね(^^; またぜひ行って下さいな^^
うちは、昔からの檀家なので 呼ばなくても、お寺さんが来てお経を読んで行きます。 呼んでないのに…お布施三千円( ̄▽ ̄)
アハハハ 田舎の習慣ってそういうのあるよね(笑) まさに坊主丸儲けだね~^^
宮沢賢治の事をよく知らなかったので、【宮沢家別宅について】 Webで調べました。 みたさ~ん。今日の終戦記念日に、爺のどたま(頭)に一つ、入ったわ(^^ゞ 2、3日で直ぐ忘れても・・エエねん(^ν^) また、教えてや~(o・・o)/~
やっぱり関西の地から岩手って遠いですから~ 賢治さんの詩とか日記とか読んでみると良いと 思いますよ^^
賢治さんは、岩手県の心の師ですからね。 必ず「さん」を、付け尊敬の念を込めて、 名前を呼ぶ県民性が大好きです。
うん! ワシも普段は「賢治さん」って呼ぶよ^^ でも、正直時代もあったろうけど花巻の人は あまり好きにはなれない・・・ 賢治さんが存命の頃、あれだけ変人扱いして阻害して… 有名になったら「おらが賢治さん」で金儲け… ま…そんなもんなんだろうけど、ちょっと悲しいよね・・