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09年09月04日(金)
夏の背中 |
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< ●パンク寸前/たし...
| ○『デキるヤツほど... >
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セミの合唱も小さくなってきて、先日からツクツクボウシの声が目立つようになってきました。 なにか去り際の夏の背中をみているような日が続いてます。
《ひとつの季節がドアを開けて去り、もうひとつの季節がもうひとつのドアからやってくる。人は慌ててドアを開け、おいちょっと待ってくれ、ひとつだけ言い忘れたことがあるんだ、と叫ぶ。でもそこにはもう誰もいない。ドアを閉める。部屋の中には既にもうひとつの季節が椅子に腰を下ろし、マッチを擦って煙草に火を点けている。もし言い忘れたことがあるのなら、と彼は言う。俺が聞いといてやろう。上手くいけば伝えられるかもしれない。いやいいんだ、と人は言う、たいしたことじゃないんだ。風の音だけがあたりを被う。ひとつの季節が死んだだけだ》。
《そういった異和感を僕はしばしば感じる。断片が混じりあってしまった二種類のパズルを同時に組み立てているような気分だ。とにかくそんな折にはウィスキーを飲んで寝る。朝起きると状況はもっとひどくなっている。繰り返しだ》(村上春樹『1973年のピンボール』)。
また空が高くなる季節がやってくるんだなぁ。 いつでも振りかえれば一瞬だから、小さな一日一日を大事にしたいです。
―――――――――――― 以下は防備録です。
今日は仕事が予定より長引き、フットサルメンバーとの呑み会を断念。ただ、県立大の市民講座にはなんとか間に合いそうだったので、クルマを飛ばして30分遅れながら聴講。「県民のための精神医学講座」第9回。内容は心理テストなどのアセスメント、それに精神分析や認知療法などの心理療法の話を少し。本当にサワリだけという感じ。
講義終了後、久しぶりに太郎サンから電話。現在はチャリにハマっているらしく、3週連続で自転車を買いパーツを買いあさるなど、あいかわらずの太郎節。あるべきものが、あるべきところで見つかったときのように、なぜかホッとします。
帰り道ミスドに寄り道。サミュエルズ『哲学による精神分析入門』、佐々木中『夜戦と永遠』をそれぞれ1章ずつ再読。ラカンに対して好意的なサミュエルズと、批判的な佐々木。ラカンの精神分析を「整理された理論」として扱う前者と、その「穴」を突いていく後者。片方を読んでいると、丁度バランスをとるように、もう片方の議論が気になります。変則的ながら少しのあいだ、こうした読みかたを続けていくつもり。
と、ふりかえってみると、逃げてく夏を追っかけてるような、慌しい一日になってしまいました。 なにより、マイペースを、わすれずに。
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