steedさん
最新の記録ノート
 |
2009年 |
 |
 |
10月 |
 |
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
月別に見る
タグ別に見る
|
09年10月14日(水)
ロシア革命 |
< 改暦
| おでん >
|
|
ニコライ2世
【今日のできごと】 昨夜のBS放送プレミアム8 より ロマノフ王朝 300年の 最期
【今日の感想】 1894年 父アレクサンドラ3世の死とともに、ニコライは26歳でロシア皇帝に即位した。 ドイツ生まれイギリス育ちのアリックス(英国女王ヴィクトリアの孫娘)アレクサンドラを妃に迎えた。 四人の王女オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアに次いで生まれた待望の皇太子アレクセイ(折しも日露戦争のさなかであった)は当時、不治の病とされた血友病で関節などに内出血が起こると激痛に襲われる、この幼子に母は何もなすすべもなく、ひたすら神に祈るばかりの日々であった。そんなある日、農民出身の祈祷僧ラスプーチンが宮廷に呼ばれて、祈祷を続けるうちに不思議なほどに病状は快方に向かい、そして治った。 このことからアレクサンドラは(ニコライ2世迄が)怪しげな祈祷師ラスプーチンの魔力を信ずるようになった。やがて、ラスプーチンは政治や政界の人事にまで口を出すようになり、これを信ずる皇帝に対し、とりまきや国民の不満が次第に大きくなってゆく。時代は第一次世界大戦が始まったばかりの頃である。 ニコライは皇太子の頃から大変な親日家で当時の日本の絵画や装飾品などを好んだ。お忍びで京都を訪れた折り、大津事件に遭うがこれがもとで戦争にならなかったのはニコライの配慮によるものである。 ロシアは 1900年 経済危機、農業の不作にみまわれた。そして、1904年小国視していた日本に日露戦争(旅順および日本海海戦)で敗れ、1905年 血の日曜日事件(十万人のデモ隊に軍が発砲)。続いて1915年、近代兵器を備えたドイツ軍に大敗。1917年 ニコライ一家はついに軟禁状態に。そして翌年、レーニンの命令で裁判にかけられることもなく家族全員が銃殺された。ここにロマノフ王朝は終わり社会主義「ソビエト連邦」が誕生した。 1991年、ソ連崩壊の後、2008年10月1日、ロシア最高裁判所はこれを「根拠なく迫害された」としてニコライ一家の名誉回復を裁定し、ロシア正教会はニコライ2世とその家族を殉教者として列聖した。 NHKの番組の趣旨としてはアレクサンドラが母として、妻として、妃として、女の生涯を幸せに過ごしたかどうかを問うものであったようだが 【今日の感想】は Wikipedia参照 で少し史実を追う記述になってしまった。 番組での結論は悲劇的な最期であるにもかかわらず、最後まで家族とともに、一緒に、生きて、愛し合ったアレクサンドラの人生は幸せそのものであった。と・・・
|
|
【記録グラフ】 |
|
【食事の記録】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|