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25年08月05日(火)
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一昨日Eテレで「火垂るの墓」の高畑勲監督の7冊のシナリオノート発見で判った監督の思いを読み解くドキュメンタリーが有った。 ワタシも何度か観ているが、兄妹の悲惨な短い生涯は何度観ても涙を禁じ得ない。 最初と最後のシーンで現代の神戸の市街地が出て来る。 最初のシーンは駅ホームの柱(たぶん清太が最後に寄り掛かったまま亡くなったであろう)で、最後のシーンは亡くなった兄妹が静かに神戸市街地を眺めているところで終わっている。いずれも野坂昭如の原作にはなかったもので、高畑監督がその思いを込めて追加したシーンだ。 番組ではこの2人は幽霊であると言う。つまり無念の思いで亡くなった2人は現代も神戸を見つめているのだと。 そして決して反戦映画ではないとも。これからも語り継がれるべき名作だと思う。
昨日はアマプラで最初に出て来たのが「父と暮せば」だった。 99分の映画だったのと、主演が宮沢りえだったのでそのまま観た。 広島に原爆が落とされて3年後の話で、亡霊の父との会話がメインのほぼ2人芝居だった。 あの当時は「死ぬのが自然で生き残るのは普通では無かった」中で、娘は生き残った罪悪感をずっと引きずっていたのだったが、結婚して孫を見せてくれという父の言葉に、ようやく前を向く気持ちに変わった。
しかしラストシーンは娘がいそいそと調理していた部屋がパンアップして行くと…なんと原爆ドームの天窓の骨組だった。 そしてその脇には二輪の小さな花が咲いていて、え?娘の方も亡くなっていたのか?!と示唆するラストシーンだった。
同じように感じた人も居て、映画の評価コメントにも幾つか有ったが、それではこの映画の意図が分からなくなる。 やはり娘は生きていて、青年と幸せに生きていくのだと思いたい。
そういや吉永小百合とニノの「母と暮らせば」も少し前に観ていて、こちらは息子の方が亡霊なのだった。 原爆から3年後なのは同じだったが、こちらの舞台は長崎だった。 良い映画ではあったが、予定調和で終わった感じがする普通の映画だった。つまり記憶に残り難いと言うか・・・ 娘は高校時代に昔話を伝える会に入っていて、(内容を脚色せずに)そのまま伝えることをモットーとしていたと言うくだりが有る。 原爆や戦争の悲惨さを隠さずに伝えるという事を暗示しているように思う。 メッセージの強さでは、完全に「父と暮らせば」に軍配が上がる。
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