maruomaruさん
最新の記録ノート
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10年01月22日(金)
落ちこぼれの唄 |
< no title
| 千葉マリンマラソン >
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ナハハ、一進一退の果てに体重がもとに戻ってらぁ。笑って誤魔化そう。
昨日、携帯に電話あり。 出ると5年ぶりに聞く懐かしい声。高校二年の時の担任A先生です。
思い起こせば私は、我ながらとても扱いにくいタイプの高校生で、成績も最悪でした。 厳密に言えば最悪ではなく、クラスで下から二番目。だから二番目に最悪…ですね。 グレていたわけではなく、むしろかなり真面目。でも反抗的で、大人に心を開かない高校生だったんです。 それは寂しさと不安の裏返しだったのですが、そういう生徒に対して先生というのは二つに分かれます。 とにかく無視/毛嫌いするタイプ大多数と、少数派だけど気にかけてくれるタイプの先生。 A先生は当時四十台の厳しい英語女教師でしたが、後者でした。
いくら勉強しても成績が悪く、そのうち、もはやどこが分からないのすら分からないという しょうもないレベルにまでなり、私はいつも窓の外をぼんやりと眺める学生になっていました。 どうしても気が向かないと学校ではなく、学校とは反対側にある小さな神社に身を隠し、 老木に下がったブランコに座って、当時の私の頭ではとても処理できないような人生の問題について 考えていました。たったの十数年の人生経験しかなく、知識のたくわえも、それを咀嚼する能力もない私は 答えの出ない疑問をただただ復唱して持て余すだけだったのですが。まぁ、そんな高校生でした。
こう見えて結構義理堅いので、高校を卒業してからもA先生とは年賀状のやり取りを続けていました。 海外を放浪する年数も多かったので、しばらくご無沙汰したあとにまたひょっこり連絡を取ったり、 そんなことを続けて早二十三年。
上海に行く前は、懐かしい高校がある駅で先生と待ち合わせをして、二人で渡良瀬川を歩いたり、 美術館に行ったりもしました。 その頃の先生はお母様を亡くして大変なウツになっておられ、心配した私は、当時はまだ誰も知らなかった 「千の風」の英語の原文を送り、手紙を受け取った先生から電話口で泣かれてしまったこともあります。 あれから6年以上の歳月が、ゆっくりと先生の心を慰め、「それでも時々ダメになることはあるけど」 今はすっかりお元気だそうです。本当に何よりです。
あの強かった先生は孫が二人いる「バアバ」になって、今ではそんな先生を私が励ましているのが不思議ですが、 それでも先生と話していると、神社の境内でうなだれていた高校生の自分がフラッシュバックされて 胸がチクンとなります。「大丈夫、あんたは強く生きていくから、大丈夫だから!」とその途方にくれた 高校生の背中を抱きたくなります。 今ではあの頃とは別人のように強くなった私ではありますが、落ちこぼれていたあの頃から ずっと地続きのところにいる私でもあります。あの頃の不安や恐れ、忘れないでいようと自分に言い聞かせます。
そうそう、先生曰く、期末試験で5点を取っていたような子が、その後通訳になったというのが 最大のナゾだそうで…。人生には番狂わせや逆転のチャンスがたくさん転がってるものなんですね。 勝負は学校を出た時点では何も決まらない。 生きるのに悩む若者達に教えてあげたいものです。
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