maruomaruさん
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10年02月08日(月)
生き物の権利を考える |
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< 家賃滞納の粗忽者
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先日、とある深夜番組で、都内にある無料釣り堀を紹介していました。 釣り堀には5,000匹のフナや鯉などが放されていて、釣り人は自分の釣り具を持参し、 キャッチ&リリースの決まりを守りさえすれば、いつ来ても無料。 「へぇ、いいねー」とその夜は思って寝ました。 一夜明けた翌朝、食事の支度をしながらふと思ったんです。 それって、魚にしてみたら地獄じゃん…って。 口がボロボロですよ。 生きる為に餌に食いついては、何度も何度も痛い目に遭い、それこそ衰弱して死ぬまで 何度釣られるのだろう? そう思ったらひどく残酷な釣り堀なのでした。
もともと私は「釣り」と「狩り」をスポーツなどとは認めていません。 あの行為は「食う為」「生活の為」であるべきだと思うからです。 ベジタリアンでない私にとっては、他の生き物の命を取って、ありがたく自分の命の一部にする行為は自然です。 ですが、娯楽で他の命を奪うのは仏教徒にあるまじき行為。(私は無宗教ですが・・・。)
日本はまだ動物愛護の点で欧米諸国に遅れていて、結構いろいろ自由なのですが、 海外、特にヨーロッパの人達の動物愛護の意識は高く、ややもするとちょっと行きすぎなのでは? と思うこともしばしば。 例えば、私には一着、どうしても外で着られなくなってしまった服があります。 それは襟ぐりにうっすらとウサギのファーが飾られたセーターなのですが、上海の市場で見つけ、 そのデザインと編み方が気に入って買ったこのセーター、フィンランド人には「ウサギの死体つき」と 舌打ちされ、別の日に会ったイギリス人には、ファーの部分を触った後で「ふぅーん」とそれだけ言われました。 以来封印です。軽蔑されてもファー付きセーターが着たい!というほど私は毛皮に興味も思い入れもないですからね。
「日本人は仏教徒で、仏教はキリスト教と違って人の命も、他生物の命も同等だろう?ではなぜ、 イケスに魚を入れてあんな責め苦を負わせるのだ。冷凍して刺身を食べればいいではないか!」と イケスどころか、金魚鉢に入れられた金魚の権利まで叫んだ北欧の友人とは、ずいぶんと激論を交わしたものですが、 彼女達を納得させられる答えはどうしても見つかりませんでした。 そもそもバーやホテルロビーをお洒落に飾る水槽にすら動物愛護団体が抗議し撤去させるお国柄、日本とはレベルが…。 しかし彼女との、時にはアホらしいとすら思えた議論を通していろいろ考えることができたのは有意義でした。
アメリカでは、ペット弁護士が段々と広がりを見せています。 ドイツで保護された野良犬は、一匹につき日本人の大学生が住む1LDKより広い空間を与えられています。 スイスでは最近、植物の尊厳も保障するように憲法が改正され、続く三月にはペットや家畜などの動物に 代理人として弁護士を認めるかどうかの国民投票が行われるそうで、農業団体は反対してるらしいです。 これが通ってしまえば、羊飼いが羊に訴えられることもあるわけです。ちょっと笑うでしょ?
自由や権利についての議論はどこまでも進める必要があります。 でも、それが行き過ぎて、最後には本来の目的すら見失うのも避けられない。 ちょっと迷走の感も拭えないけれど、スイスの人権や権利議論はそこまで進んだってことなんでしょうかね。
再び無間地獄の釣り堀に話を戻しますが、要は仏教的に考えればいいのだと思います。 輪廻転生。 次にあなたが生まれてくる時は、この釣り堀の鯉になるかもしれない。 どこかの居酒屋でイケスに入れられ、最後は活き作りになって客に供されるかもしれない。 あなたにその覚悟はあるのかい?ってことです。
相手が例え小さな命だとしても、自分が入れ替わった時にされたくないことはすまい。 そこに尽きると思います。 …無宗教のくせにかなり仏教的ではありますが、これが私には一番しっくりくるアンサー。
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