.takaさん
最新の記録ノート
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19年08月04日(日)
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昨日は午前中に大家さんに部屋代+電気料金を支払い。 SMでいつ持っていたら良いかと尋ねたら代理人が部屋まで取りに来てくれた。 しかし毎月面倒だなと思う(ー。ー)フゥ 電気代は736元(2600円ほど)
そのあと散髪屋まで40分くらい歩く。 黙っていてもいつもどおりやってくれるから楽だが、到着と同時に汗びっしょりのままカットし始めるのが玉に瑕。 今日は頭のマッサージをするか聞かれたので良いよと言うと、奥さんがカットの3倍くらいの時間を掛けて丁寧にやってくれた。 450+300元だから、1ヶ月の電気代と同じくらいだ。('ー') フフ
帰りに店の名前が変わった以前の馴染みの店に寄ってみた。ずっと確認したい事があった。 実は伏見出身の日本料理屋の女将に逢いたかったのだが、寿司屋みたいな日本料理屋になっていて経営者も変わっていた。 写真は鶏の照焼ランチ?とでも訳したら良いのか?味噌汁は日本の出汁、味噌を使っていたみたい?180元。
食べ終わってカウンターの中に居た大将に中国語で聞いてみた。 以前の店の名前は「三昧」だったよね?日本人の女将は今何処へ? すると去年日本に戻ったという。息子二人も台湾にはすでに居ないそうだ。・・・(ー。ー)フゥ 8年前?長男は会ったことはなかったが国立最高峰の大学生、次男は高校生だったが学校でケンカばかりしている問題児だった。 2011年の東日本大震災の際には現地客が放射能にうるさいのだろう、壁に「当店の魚は台湾近海のものです」と貼り紙をしていた。
元旦那が日本料理屋を手広く広げたあと借金ですべての店を手放したらしい。 その店は2003年から我々もよく食べに行ってたが当時は日本料理屋が数少ない中で一番美味しい店だった。 その後DVが原因で離婚、女将は暴力の後遺症(脳しんとう)で病院に通いながら息子二人を抱えて随分苦労して育てていた。 たぶん元旦那の店が駄目になったのは2006年くらいだから10数年も台南で頑張って息子を育ててきたはず。 そもそも離婚当時は中国語が喋れなかったらしい。それでも一人で市場に行って仕入れしたりパートを雇ったりしてたようだ。
しかし2003年当時は女将のことは全く知らず、確か2010年くらいに初めて店に行って喋ってたらそんな不思議な縁が有ったという事だった。 それ以外にも本が書けるような話が沢山有った、他に日本語で会話する人が居なかったからだと思うが愚痴や本音の話を随分聞いた。
2015年に南京から遊びに来たときは、フライト遅れで予定のイベントがこなせず結局会えずじまいだったので心残りだった。 でも本人は日本に帰りたいと言っていたので今は京都で?幸せに暮らしていることを祈るのみだ。
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