taka*さん
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25年09月11日(木)
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録画していたBエフェクトを観た。 戦後のS30年頃から昭和の終わりまでの30数年間なのだが、ワタシが生まれ、がむしゃらに働いて来た濃い時代だ。 所謂スパルタ式の教育や24H戦えますか?の時代だった。
職場や新幹線でも喫煙は普通の事だった。 職場に喫煙室が出来たのは入社後数年経ってからで、それ迄は机に灰皿が有り、常に煙草を吸っていた先輩がいた。
和服姿の女性の花見の席の横には積み上げられたゴミの山、電車の車内掃除でも山のようなゴミの映像が流れた。 思えば電車内で駅弁を食べたあとは駅弁の箱を座席の下に押し込むのが当時のルールだったように思う。 或る時、座席の上に置いて行く旅客がいて、マナーを守らない人だなと子供心に思った事を覚えている。
川に家庭ゴミをポイ捨てするし、し尿も然り。 電車のトイレは走行しながら排泄物がそのまま線路にばら撒かれていた。そりゃ沿線の洗濯ものは外に干したらえらい事になっただろう。 都内では家庭で汲み取ったし尿を、船で日本から96km離れた黒潮の上でぶち撒けていた事は初めて知った。
環境なんて気にも留めず、後年にツケを残した時代だった。公害があちこちで起きたのも当然の成り行きだった。 まさに少し前の中華圏の国を見るようだった様に思う。
功罪ともに有ったが、ギラギラしたエネルギーと言うか活気だけは有った。 しかしたまたまC鮮戦争、Bトナム戦争の特需が有ったから、下がりかけた景気が良くなっただけの事。 自力のみで経済発展を成し遂げた訳ではなく、その成功体験が「失われた30年」に繋がったのではないかとも思う。 日清・日露で連勝し、その思い上がりが先の大戦の大敗北に繋がったのと、内容的にはソックリじゃないか?
そう言う国民性なのかもしれない。だから歴史は繰り返すのか・・・(ー。ー)フゥ 自分が生きてきた時代だけに、或る意味懐かしいが、同時に心が痛む映像を見せられた感じがした。
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