Ayako_kさん
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21年03月27日(土)
テキサスの友人、地元の友人 |
< 歓送迎会の案内
| 眠る、眠る >
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今朝、携帯に届いたメールに、私は歓喜した。 それは、懐かしいV氏からのメールだった。 そのメールは、長い間返事が遅れたことを詫びていた。 2年間、家を離れていたのだという。 そして、ネット環境も無かったとのこと。
彼は、私が一番初めにプレイしたオンラインゲームで知り合った友人で、アメリカ人だ。 テキサスに住んでいると言っていた。 正確には、「そう、英文を打っていた」ということになる。 わたしたちは、ずっと英語のチャットで会話をしていたからだ。 彼と初めて会った日に話した内容は、確か映画「A.I」の感想だった。 調べてみると、映画「A,I」の公開日は2001年6月30日とある。だから出会ったのもその頃だ。 私は、予告編を見た時から、これは自分は号泣するに違いないから、ハンカチでは足りないだろうからと、タオルを持参して映画館に行ったのだ。 だから、「私は映画館にタオルを持っていった。ハンカチでは足りないと思ったからだ」と、拙い英文でチャットしたのを覚えている。 今は2021年だから、そうするとV氏とは20年前に初対面した、ということになる。
彼は、一言で言うなら「ジェントルマン」だった。 のちに知ったのだが、日本以外では、男性は女性とみると口説く、という連中が少なからずいる。 それも、悪気なしに口説く。 しかし、彼は私を一度も口説いたことはなかった。 あくまでも「友人」として接してくれた。 それは、私が最初に言った映画のエピソードの時から、「夫と一緒に映画を観に言った時に……」から話を始めたからかもしれない。
私たちは、簡単な英語でたくさんチャットをした。 PSOというのは、宇宙船が未知の惑星の上に係留していて、プレイヤーは協力してその惑星の敵キャラクターを倒して経験値を上げていくオンラインゲームだ。 だから、敵を倒す場所には、宇宙船から冒険者であるプレイヤーがワープして降りて行き、戦闘が終わったら宇宙船に戻ってくる、という設定だった。 私たちが会話をしたのは、その宇宙船の個室の中。宇宙船には、広間もあるが、個室もある。冒険に行く人たちは、最大4人入れる個室に移動して、そこから惑星にワープする、というしかけだ。 私たちは、その惑星の敵のことや、ゲーム内のストーリーのことも話したが、お互いのリアル生活のこともけっこう話した。 私の英語チャットは、小学生レベルで、時々、伝えたい言葉が英語で何の単語だったか思い出せないことがあった。 そんな時は、和英辞典を開いた。彼には、「事典を見るから、ちょっと待ってね」と声をかけると、辛抱強く待っていてくれた。 話も、スピードも、英語が子供のような私に合わせてくれた。 ただ、話の内容は、子供じみたものばかりではなかった。 ある日、V氏は、「韓国人が犬を食べるというのは信じられない。犬は人にとってパートナーだ。」と言った。 私は、つたない英語で「韓国人が犬を食べるのも、日本人がイルカやクジラを食べるのも、単に民族の習慣や文化だ。西洋の人は、子豚の頭を焼いて皿に乗せる。それは東洋人から見るとグロテスクに見える。これらは文化の違いでしかない。私は、それぞれの文化の違いは単に習慣の違いとして認め、その上で人間として友人として、人として接していくよう心掛けたいと思っている」といった趣旨のことを話した。(ここまで立派ではなかったと思う) そうしたら彼は、「I agree.」(私は同意する)と答えてくれた。 文化摩擦から友人を失う、ということはしたくなかったのだ。回避できたんじゃないかと思う。 彼は、ショートスリーパーで、眠る時間が短く、かなり長時間プレイをしているようだった。 しかし、日本時間で夜中になると、「もう夜遅い。私は少し休憩のためにログアウトするよ。おやすみなさい」と言ってログアウトしたことがあった。 彼なりの、私への気遣いだというのは、充分に分かった。 彼は、自分がログアウトしないと、私がチャットが楽しくてなかなか眠ろうとしないので、私に休息を取らせるためにあえてログアウトしたのだろうと思う。 いつも、アメリカの時刻ではなく、日本の時刻を中心に考えてくれていた。 ゲームの中では、よくゲームに役立つアイテムやゲーム内マネーなどを、わたしにくれた。 彼自身は、「もう沢山持ったから」と言うのだった。そうでなかったとしても、彼は友人にものを上げるのが好きなようだった。 ある日は、ゲーム内のお金(ゲームの中ではデルタ6面体の固形物に見える)1メセタを、道にパンくずのようにずらりと落としていって遊んでいた。 まるで、滑走路をガイドする電灯のように。 彼は、綺麗な景色の場所に私を連れて行ってくれた。 それは、ゲーム世界の惑星の中でも、美しさが感じられるところだった。 私たちは、敵を倒しながら東南アジアの棚田のような場所を走り、森林を駆け抜け、晴れた海で敵を倒した。 敵を倒しつくすと、海を見ながらチャットした。 彼と遊んでいる時は、いつも楽しかった。 彼は、そのうち、自分の本名とメールアドレスを教えてくれた。 私の本名も聞きたい、というので、私も本名と、携帯のメールアドレスを教えた。 別にそれで、そこから彼がしつこくプライバシーに関連するメールの質問を送ってくるなどということは無かった。 ゲームで連絡が取れなくなった時のための、お互いの連絡先を教えあおう、ということだった。 ただ、本名を教えあったのは、プライベートを大事にする彼の、かなり親密な情報公開なので、私をそれなりに気心を許せる友人として認めてくれたのだろうと思う。 それまでに私たちは、数百時間のチャットやゲームのプレイ時間を共有してきた。 だからこれは、会っていきなりナンパしてくる有象無象の男たちから聞かれたのとは、全く違う意味を持った。 実際彼は、私を口説くような話は一切しなかった。 あくまでも、綺麗な場所にはエスコートしてくれるだけなのだ。どこまでも紳士だった。
彼には、日本人の男性の親友がいた。 T氏は、私よりよっぽど流暢な英語を駆使していた。 彼らは長年の親友で、V氏はT氏には住所も教えていたらしい。お互いに贈り物を郵送で交換したことがあると、T氏は私に話してくれたことがあった。 ちなみに、私たちが初めて会ったのは、V氏がT氏とT氏の奥さんを待っている時で、私も彼らのバトルパーティーに加えさせてもらって、4人で敵を倒して、その後雑談をしたところから始まる。
2年くらい経った頃、T氏は、メインのオンラインゲームを、その頃人気が出始めた「ファイナルファンタジー11」に移すつもりだ、と言った。 V氏も、T氏についていく、と言った。 そこで、私も「ファイナルファンタジー11」を始めることにした。 彼らより少し遅れてログインした私を、彼らは色々サポートしてくれた。 「ファイナルファンタジー11」には、いくつかの国がある。私は、V氏がどこの国に所属したのかを知らないままキャラメイクをして国を決めてしまっていた。 初心者が国を渡っていくのは、強い敵を倒さないと通過できないし、その国に辿り着かないと所属国を変更する手続きができない。 なので、私はゾンビとしてT氏に引っ張っていってもらい、V氏の国に辿り着いたところで蘇生魔法をかけてもらった。 V氏は、こちらでも綺麗な景色を見せてくれた。 やがて私は、T氏と同じチームに入り、レベルを上げたり、チームで一緒に狩りをしたりするようになった。 V氏はずっと、ソロプレイをしていたので、会う機会が減っていった。 それでも、たまに会うと、V氏は私を、このゲーム世界の中の美しい景色が見える場所に案内してくれた。 私たちはそこでも、チャットを楽しんだ。 しかし、この「ファイナルファンタジー11」というゲームは、PSOと違って、ソロでレベルを上げるのが非常に難しいゲームだった。 シャイな彼は、あまり知らない人と一緒にプレイしたり、チームに所属したりすることは好まなかったようだ。 それも、私たちが疎遠となるのを加速させたように思う。
結局、V氏はほとんど「ファイナルファンタジー11」にログインしなくなった。 私も、だんだんこのゲームについていけなくなり、課金をやめた。 V氏には、たまにメールを出すようになった。 すると、忘れた頃に短い返事が来たりした。
しかしそのメールも、ある頃を境にして、ふっつりと返事が来なくなった。 私よりも親友であるT氏にツィッターのDMで聞いても、「自分も詳細は分からないが、ネットがつながらない環境に今はいるとのことだった」との返事。 メール自体は解約されておらず、(メールが解約された場合は「現在存在しないメールアドレスです」などの自動返答がサーバーから届くのが普通だが、そういう自動応答メールは来なかったのだ)単純に返事が来ないだけだった。 私は、あきらめずに、思い立った時に、あけおめメールを出してみたり、ホンジュラス旅行での不思議な体験をメールに綴ってみたりした。
そして今朝、いきなり立て続けに3通のメールが彼から届いた。 「ずっと返事が遅れてしまってすまなかった。ここ2年間、家を離れていた。そこは、ネットができない環境だった」 「メールはとても興味深く読ませてもらった。「ま!」」 「ま!」というのは、PSO時代に、私が彼に教えた日本語だ。 私と旦那は、暮らしていくうちに、「ただいま」「おかえり」の挨拶を、省略形で言うことを思いつき、一時期我々夫婦の間では、それが流行った。 これを、V氏に話したら一発で覚え、V氏もログアウトから戻ってログインした時などに「ma!」と使うようになった。私の答えは当然「ri!」である。 V氏のメールの後ろに、当時の私のメールが添付されていた。 ホンジュラスでの体験を綴ったメールだった。 ホンジュラスで、丘の上に痩せた馬や牛が草を食べているのをみかけた。 私は英語が話せる運転手に、「あのCOWたちには、所有者がいるのでしょうか」と聞いた。 「No ownerだと思う」と、運転手は堪えた。 「No owner!」「No owner Ushi !」 私と夫は、この言葉がツボに入り、この旅行中何かと「ノウ オーナー!」「ノウ オーナー 牛!」と叫んでいた。 日本では、ありえない光景で、面白かったのだ。 これもV氏にメールで書いていた。「私たち夫婦にはまた、夫婦だけでウケている共通の言葉ができました。そう、あの「ma!」「ri!」みたいに」と書いていた。 V氏の返信はこれを受けてのものだった。 彼の返信は、全部英語だったが、「ま!」だけはあえて日本語の文字で書かれていた。 きっとPCに、日本語文字の入力ができるソフトをインストールしていたのだろう。 「ホンジュラスでは、違うホテルに3回泊まったけど、お風呂がついていたのは1回だけだった」とも私は過去のメールに書いていた。 その返事としてV氏は、「うちにはバスタブもシャワーもあるよ」と答えてくれていた。 メールの結びは「また聞きたいことがあったら、メールしてほしい。sincerely」とあった。
彼は紳士なので、女性に対して自分からガンガンナンパメールを発信することはない。 でも、そんな控えめな彼だからこその、「またよかったらメールをくださいね。楽しみにしているよ」という意味なのだろうと思った。 私も、そんな人だということを知っていたからこそ、携帯メールアドレスを教えたのだ。
ちなみに、なぜ3通返事が届いたのかというと、私に対して返事をしていないメールが3通あったからのようだ。 それらひとつひとつに、それぞれ律義に返信をしてくれたようだった。
ものすごく嬉しかった。 だから、V氏のことを知っている、PSOで出会った人たちや、直接会ってはいなくても、間接的にV氏のことを一緒に話した友人たちに、「V氏からメールが来たよ!元気だって!」と連絡した。ツィッターでつながってる2人と、LINEを最近の連絡手段にしている友人にメッセージを送った。 旦那にはこれらメールごと転送した。 みんな、V氏が無事であることを、喜んでいた。 Mちゃんは、PSOで一回だけ、V氏と会ったことがあった。 Mちゃんは英語がかなり苦手だと分かると、V氏はローマ字で、日本語で彼女に会話をしてくれた。(機器の仕様で、アメリカ製品のゲームチャット用のキーボードでは、日本語入力ができなかったらしい) ちなみにV氏は、日本語が読める(漢字は少々苦手だそうだ)し、日本語の聞き取りもできる。 押井守監督のファンで、彼のアニメ映画「パトレイバー」は、吹き替え版ではなく、日本語版のほうで見たとのこと。 日本の声優の喋りのほうが良いと思ったからだそうだ。 Mちゃんは「Vさん、綾子さんの話どおり、いい人だねえ」と感想を言っていた。 彼女も、V氏が無事であることを喜んでいた。 LINEで連絡した私の友人も、「テキサスでは天災もあったりして、心配してました。綾子さんが連絡を取っていてくれて良かった」と言っていました。 V氏はジェントルマンなので、彼を知った人は皆、彼のファンになっているのです。 本当に、嬉しい朝になりました。
夜は、この間うちを訪問した友人から、「また、地域応援で色々買い物しなきゃならなくなった。そのひとつのお菓子を持っていくので、受け取ってくれないか」とメールがきた。 そして、私たちはまた、夜にお菓子を囲んで雑談をした。 彼女は、帰る前にちょっとしんどそうに立ち上がった。 「年々、動作がしんどくなっていく。私たちの先輩の頃は、50歳台から年金支給があったから、早くやめる人もいた。私も、お金のことさえなかったら、定年まで働くのももうなんだか嫌な気持ちにちょっとだけなってきた。でも年金支給は私たちの年代は確実に65歳からだもんねえ」とため息。 正確には、60歳からの支給も可能ではあるが、支給額がガタ落ちする。そしてそれがずっと続く。 だから、平均寿命のことを考えると、低賃金でもどこかで働いて生計をなんとか維持するか、貯金を取り崩して生きていくか、という話になる。 私が不動産投資に力を入れているのも、退職後にいきなり食いっぱぐれないためのリスクヘッジだ。 「1億円とかあたったら、その後の人生楽に暮らせるだろうにねえ」とも、彼女は言っていた。 私は「そうだねえ」と答えて、帰る彼女を見送った。
多分私ならば、1億円当たったら、1~2年おきに投資用不動産を購入する。 一度に使ってしまうと、修繕時期が一気に訪れてしまうので、少しずつずらすのだ。 それまでは、家屋の修繕費用と生活費を通帳に保持して、余剰資金は投資信託に積立投資をする。少しでも金をふくらませるために。 複数の投資信託に投資して、数年おきに成績を見直して、投資を変えていく。 年金だけで老後が安泰なんていうのは、もはや夢物語だからだ。
今日は、超遠方の友人と、少しだけ遠い地域の友人と、会話した。 人と会うのが難しくなったこのご時世、連絡を取れる人がいるというのは、やっぱりありがたいと思う。
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