yukatrollさん
最新の記録ノート
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14年10月02日(木)
1002 協力者との接見 |
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【朝ごはん】 リンゴ秋映ウマー1/4 【昼ごはん】 “ルネッサンス”魚のコース 【間食】 【晩ごはん】 “ふく福”味噌煮込みうどん 【夜食】
【今日の感想】
恐らく、今後、色々と力になってくださる方に会いにゆく。 この方は今までもずっと我々の傍で様子を見、 あらゆる面で、義両親、我々の四人に協力をしてくれていた方。 考えに偏りがなく、おおらかでひとかどの人物。 どの程度お話しし、協力を仰ぐかは、 お逢いしてから少しずつ考え、進めるつもりであったが、 既に義母が電話をして、おおかた話していた。
義母が常々悪く言っていたこの人にまで? いったい何を? と思ったが、 協力者の方は、義母の話しっぷりや内容に大いに疑問を感じていて、 早くわたし口から話が聞きたかった。。。とのこと。 義母の狼藉は夫を横にして話すのは、いくらなんでもはばかられ、 時系列で事の流れだけを説明したが、 それで全て納得がいったし、どんなことをしたかはおよそ想像もつくと理解し、 わたしに『本当によく頑張った。それ以上の対処はない。』とねぎらって下さる。 わたしからは『この局面で、夫からその“言葉”がなかったのが一番つらかった』 『その上、まだ義両親に会わせようとしている彼に不信感をもっている』と助けを求める。
この日の夜は、我々が義実家に赴き、 話しあいという名の“義母の感情吐き出し”を聞きに行く予定であったが、 その方が夫に、 『これはもう夫君の問題だね。yukaさんが行く必要は全くない。』 と言って下さり、わたしは留守番ということになった。
コトが起こってから、 夫はわたしの話を真剣に聞いてくれてはいたが、 いまいちピンときていない様だった。 わたし自身も10年間大好きだった義母の変わり様にびっくりしていたくらいだから、 40年間育てられた夫にすれば無理もないことだろう。 とは、アタマではわかっていたが、感情がついていっていなかった。
本当にコイツわかってないよ。 そう感じたのは9月30日、霧島に逗留していたわたしとまだ大陸にいた夫との電話で。
ホテルに宿泊するのは決定していたが、 義母が前日電話してきて、四人で話をしたい、、、と言ってきたその言葉を了承したこと。 『えっ?そこにわたしを連れていくわけ?今までわたしから何を聞いていたの?』 ほとほと、コイツ馬鹿だ、、、と思った。
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