yukatrollさん
最新の記録ノート
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14年10月14日(火)
1014 コトの顛末 その2 |
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【朝ごはん】 りんご1/4、3in1コーヒー 【昼ごはん】 “五德鸡”蟹虾面 【間食】 ドリップコーヒーのアイスコーヒー ウマー♪ ミルクウーロンティ 【晩ごはん】 タイ料理残りの持ち帰り等々 カレー炒め、タイ米、春巻き、さつま揚げ、浅漬け、なます 【夜食】
【今日の感想】
本日、朝の気温は19℃。 すこぶるつきのお天気だけれど、確実に風は冷たくなっている。 これまで毎朝、起床とともに大きく窓を開けていたけれど、 昨日からこころもち小さく開ける様になった。
さてさて、また少し季節が変わったこの街。 今日は何処を歩こうか。
8月からつづく、一連の義母との確執の件では、 皆さんに大変なご心配をおかけしておりました。 今回、今月のいっぴから我々二人が薩摩に赴き、解決につながるかな…な対処をしたのですが、 残念ながら無事に丸く治まるということはありませんでした。
世界中に発信しちゃうweb上で、 どこまで書いていいのかな…と、一瞬悩みはしましたが、 なんたってわたし自身が“匿名”ですし、 ココのことは親戚、縁者には一切話していないので、 おそらく誰にも迷惑をかけることはないっ!と判断し、 コトの顛末その2 を書くことにしました。
発端は8月。 “コトの顛末”で書いた通り。 あんまり詳しく書いてしまうと、あまりにも長くなってしまうので、 隠したいコトがあるわけではありませんが、詳細は省きます。 …と書き始めたわけですが、かれこれ2時間、3時間。 すんご~~~~~く長くなっちッた。 あまりにも重すぎるので、スミマセン、やめました。
で、隠されていた原因と結果だけを記します。 お義母さんのわたしに対する“嫉妬”と“被害妄想”でした。 よくも、まぁ、ちょっとズレたコトをひと月以上も怒り続けられるもんだなぁ…とは思っていました。 わたしの言動をとってアレコレと注意されたり、厭味を言われたり、攻撃されたりしたんですが、 イマイチ、いや全くピンとこないコトを指摘したりするもんだから、 コレは何か彼女にとって言いたくない大事な事を隠しているぞ…とは思っていました。 が、まさかのまさか、嫉妬と妄想だったとは。
8月に仕事があるから行けなかった夫を大陸に置いてまで、一人で義父母の手伝いに行ったのは、 わたしが義父ちゃんを“誘惑”するためだったそうで、 それを遂行するためには、ナンと!わたしはお義母さんを“蹴落とす”必要があったそうです。
もう、もう、もう、、、、、あたしゃ、腰がくだけたよ。 何勘違いしてんだこのヒトは…って。 仮に100歩譲って、爪の先ほどでも義父ちゃん好き…って気持ちがあったら、 少しは後ろめたくなってたかもしれないけれど、 それは全くないからね。 ただただ純粋に、お二人を手伝いたくて出向いたのに…の出来ごとだったから。 あぁだ、こぅだ注意されてた事も、 本人が本当のコトを言いたくなくて苦し紛れに言った事だって、 見当違いもいいところだったってのもわかった。
仲の良い夫婦ならば問題はない。 しかし、仲が上手くいっていない夫婦は厄介だからね。 わたしも一度、結婚に失敗している身。 破綻している夫婦ほど、執着のある側がもの凄い嫉妬をするって、 身をもって知っているから、とんだとばっちりを受けないように…と、 わたしは義父ちゃんにはなるべく近づかないようにしていたんだよ。 10年間。 それとは全く別に、心からお義母さんが好きだったんだよね。 明るくって、心が広くて、優しくって。 だから薩摩で世話になっている時は、いつもお義母さんのあとをくっついてまわってた。 自分の口で『おかあさんホントに大好き。いつもありがとう。』とも言ってた。 10年間。 それが、まぁ~~~ったく通じていなかったとは。 それもご本人に“だけ”通じていなかったとは。 周りの人達はそのわたしたちの姿をずっと見ていたわけだから、 客観的意見を言えばわたしの味方になってしまうのは…いわずもながだ。 はぁぁぁぁあああ、 もう、もう、もう、なんて言っていいのやら…。
そんなわけで、 彼女のアタマで作り上げた嫉妬と妄想で、 わたし自身が知らないトコロで別のわたしがナンダカンダと彼女にヒドイ事をしまくっていた模様。 彼女の口から出た、こんなコトがあった、あんなコトがあった、、、は、 もうドラマですか?の世界。 ただただビックリだった。 それも夫が一つずつ、そんなハズはないでしょ、、、、 そんなこと物理的に無理でしょ、、、 母ちゃんの覚え間違いでしょ、、、 と穏やかに説明するも聞く耳を持たず、自ら燃料投下、大興奮状態維持。 、、、だそうで。
おそらく病気です。
後に義父ちゃんと夫と三人で話す機会があったんだけれど、 その時に、正直に話しましたよ。 わたしたちは、ココまでおかしいヒトが10年間も我慢できたわけがない。 きっと病気の始まりだと思っている…と。 しかし、義父ちゃんから返ってきた言葉は、 『あれは昔からああだった。性格だ。』 『実はもう、近所の人も親戚も誰も相手にしていない』 でも、義父ちゃんは男だから、責任があるから最後まで面倒をみるんだそうな。 … 実に微妙で難しいところです。
でね。 それでね。 わたしは気持ちがスッキリ晴れたわけですよ。 なぁんだ、彼女の作り上げた妄想で怒っていたんだ。 わたしの問題じゃぁなかった。 彼女の問題だったんだ。 って。 … でもね。 その後があったんだ。 大どんでん返し。
ちょっとばかり鈍感な夫君。 大いにズレまくり、わたしの心をへし折り、 時間と心を大いに提供して下さった協力者の方々の心もへし折り、 感情的に暴走しておりました。
そこいらへんは、10月1日からの日記に記しておりますので、 ご面倒ではありますが、興味おありの方はそちらをお読みください。
そして、改めまして。 この2ヶ月のあいだ。 わかりにくい文章を辛抱強く読んで下さり、 わたしの気持ちを慮って温かい言葉をかけてくださった皆さん、 ご自分の実体験を踏まえて的確なアドバイスを下さった皆さん、 本当にありがとうございました。 馬鹿丁寧な言葉になってしまって、なんだか味気ないのですが、 心から、本当に心から感謝しています。 泣きたい時はもちろん、泣いちゃっている時に、 皆さんが強い心の支えになってくださっていたことを、是非知って欲しくて、ここにお礼申し上げます。
幸いだったのか、不幸だったのか、今になってはわかりませんが、 一見普通に見えるのに、ここまで話の通じない人(義母。と、違う意味で夫)が身近にいたことがなくて、 びっくりするやら、動転するやら、取り乱すやら、 わたしもカナリきまくりやがりました。 あああ、とうとうバツ2かぁ…とも思いました。 今回の一連の問題は、 義母がどうしたとか、何を言ったか、とかじゃなくて、 わたしの味方である夫がなんの“覚悟”もできていないまま、 テキトーに終わらそうとしたことが原因です。 口では『yukaちゃんを守る』と言いながら、 肝心のところを〆られず、オタオタしていた夫が原因です。 いや、その夫を“情けない”と思ったわたしが原因なのかもしれません。 マッコト、夫婦は合わせ鏡でしたよ。 “情けない夫”と“強過ぎる妻” その形ちでは望んじゃぁいないんだけれど、バランスは取れているんですよね。 あああああ、なんだかなぁ…わたしです。
とても良い勉強になりました。 あふれる愛情と忍耐力の優れた先輩方に、夫婦してたくさん助けられました。 嫌な事もあったけど、すばらしい経験が出来たとも思っています。 生まれてきてヨカッタ。
そして、ここで胸を張って報告出来てヨカッタ。
みんな、みんな、アリガトウねっ。 わたしはココが大好きなんだよ。
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